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03/19/2005

RIR6さんへのレス2:積極的自由と消極的自由について

RIR6さんが言われているように、ここからが本筋ですね。あまりディープな話になってしまうとかえっていけませんが…。

僕は、やはり積極的自由という考えには抵抗を感じます。だからといって人権侵害を容認するわけではありませんが、公権力の行使よりも良い方法があると思うのです(ただし、今回の人権法案が公権力の行使というほど強権的なものなのか、というような話はここでは措きます)。あと、未来の話も脇においておきましょう。ヘーゲルとか類的なんとかとかいうような用語が出てくると話がややこしくなっていけません。当面、社民主義だろうという了解のもとで話を進めます。

まず、政治体制としての優劣という問題から。RIR6さんが言われるサイドストーリーから話を進めます。

1.原理と結果のどちらを評価するか

RIR6さんは、非本質的な話だといわれると思うのですが、例えとしていいのでレッドパージの話を使わせてください。当時の西ドイツとアメリカとでは国際政治的な位置も違うのですが、それもオミットします。
この場合、原理的に評価すると、あきらかに消極的自由の体制のほうに分がある、と僕は思います。なぜなら、アメリカのマッカーシズムは消極的自由の原則を逸脱する形で行われたのに対して、ドイツ共産党の禁止は積極的自由の原則の貫徹という形でおこなわれているからです。どちらの体制がより人の自由を侵害するかはあきらかです。
マッカーシズムが行ったのは、アメリカ人が共産主義的信念を表明する自由の侵害でした。合衆国憲法が保障する権利の侵害です(アメリカでのマッカーシズムに対する反省も、このラインで行われていると思います)。一方、ドイツで行われたのは100%合憲・合法(かどうかは知りませんが、そういうことにしておきます)な行為です。どちらが危なそうかは、僕には明らかなように思えます。

もう少し言葉を重ねると、RIR6さんが指摘しておられるような事態は、原則的には(ここが重要です)、消極的自由の不貫徹の結果なのだと思います。表現や思想・信条の自由が完全に守られている社会では、レッドパージも許されませんし、たとえ合法的に選出された元首でも、消極的自由を制限するような法改正は行えません(広範な反対運動にあって、追放されてしまいます)。
また、(究極の自由主義者であるチョムスキーの主張に見られるように)他国への武力介入にも、多くは反対することになるでしょう。


もちろん、実際にはヒトラーは追放されなかったわけで、ここに第二の論点があります。つまり、消極的自由を掲げる国は、結果としてその原則を逸脱する可能性が高い、ということですね。RIR6さんはあきらかにこちらの観点を取っておられると思うのですが(そして、そのプラクティカルな有効性を僕は否定しませんが)、疑問は残ります。それは、消極的自由が抑圧されるときには、積極的自由に良く似た表現が登場するような気がする、ということです。

おそらく、いかなる高圧的な国家も、「我々には全世界を従わせる権利がある」と言いはしないでしょう。彼らの主張は、「我々の権利をまもるために、やむにやまれぬ最低限の措置を行う」というものであるはずです。
マッカーシーの主張も(明確にそういわれたかどうかは別として)、「アメリカはソ連共産党の攻撃にさらされており、なんとしてでもそれを食い止めなければならない(だから、アメリカ国民の自由を侵害してもやむをえない)」というものでしたし、日本帝国も「日本(とアジア人といったとか言わないとか)の自由と独立を守るためにやむをえず」東南アジア各地に侵攻したのでした。また、昨今のアメリカ政権の言い分も、「アメリカの自由と民主主義を守るため」にやむなく外国に侵攻し、アメリカ人の自由を制限するのだ、というものです(アメリカ愛国者法はアメリカの消極的自由からの明らかな逸脱だと思います)。
僕が指摘したいのは、このようなあきらかに不自由な体制が、どうも積極的自由の原則を取る社会と似ているということです。特に、現在のアメリカについてはそのことがはっきりといえると思います。
もちろん、民主主義体制による監視をきちんとすれば問題がないはずなのですが(そしてRIR6さんはそれが可能だと主張されているわけですが)、現状を見ると必ずしも楽観視できないのではないかと思います。

率直に言って、どこまでが民主主義の防衛でどこからが過剰な抑圧なのか、直ちに判別する方法があるとは思えません。ゆえに僕は、「結果としての繁栄や成功」よりも、よりわかりやすい(消極的自由の)原則ほうを取りたいのです(アメリカとヨーロッパのどちらが自由かというような問題もありますが、これもまたにしましょう。ヨーロッパ的でありながら消極的自由の国であるイギリスのことも考えないといけないと思います)。


2.国家か個人か

少し話を変えます。RIR6さんの記事を拝見していて、僕がもう一つ考えたのは、個人が(国家の支援を得て)個人と対決することと、国家(あるいは共同体)が個人と対決することとの違いが、時に曖昧になっているのではないか、ということでした。
ここまでのお話の流れでいうと、前者が消極的自由の場合にあたり、後者が積極的自由の場合に当たります(なお、「発言の自由を守るために、損害賠償や名誉毀損を含むあらゆる措置が禁じられる」という、極端な消極的自由の考えはここでは取らないことにします。結果として現行の日本の法体系にやや似てきてしまいますが、ご容赦ください)。
僕が思うのは、あきらかに前者のほうが誤用・乱用される可能性が低いだろう、ということです。個人が自己の被った損害の回復を求める場合、そこには多くの場合明示的な証拠が存在します(証明しにくい場合があることは確かですが)。他方、国家が主体となる場合には、事実関係が曖昧になる可能性が増大すると思うのです。常にそうだ、というつもりはありませんが、成員が共同体が侵害に対して過剰に反応する傾向があることも指摘して良いかと思います。たとえば(このブログでも何度か述べてきたのですが)、奈良の女児誘拐事件のときなどがそうでした。あきらかに、自分が危害を加えられたわけでも、深刻な危機にさらされているわけでもない人たちが過剰に騒ぎ立て、オタクバッシングなどを繰り広げたわけです。
このようなときに、「当の利害関係者だけが、法的・言説的な主体になりうる」という原則が貫徹されていれば、過剰な騒ぎは起こらなかっただろうと思います(それが犯罪の抑止につながるかどうかはまた別の問題です)。人権の場合にも、同じことが起こりうるだろうと僕は思うのです。今回の法案や民主党の対案がこれについてどう考えているのかは存じませんが、RIR6さんは、このことをあまり積極的には主張されていないように見えます。

この点にも、少し疑問を感じています。

以上のようなことから、あの一文を書きました。ご理解頂けると嬉しいです(繰り返しますが、法案に対する賛否は無関係です)。長々とお付き合いいただいて、ありがとうございました。


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