02/09/2008

スタジアムのこと、ちょっと幻想

ええと、タイマー更新です。

直接ガンバの話ではないのですが、この前見つけた、猛烈に面白く、かつ長い都市開発系の講演録「デフレ時代と中心市街地」をちょっと紹介。長いですが、週末、時間があるときに読んでいただけるのはいいのじゃないでしょうか。

この講演では、実際に再開発に融資している銀行の人が実地の経験に基づいて話をしているのですが、かなり面白い部分がいくつかあります。その一つはここ。

ブランド物の商業、食の名物を活かした観光、社会人教育、コンベンション、集客イベント、プロスポーツ、まちなかでやった方が経済効果が大きいのに、なぜかそうなっていないものは目白押しです。逆に、郊外にも普通にあるような商業テナントをわざわざ市街地の再開発ビルにいれたりするというのは、波及効果の感じられない話といえましょう。

これはもちろん、(とりわけ茨木市と高槻市の)再開発計画者の方にお教えしたい話です。プロスポーツ、街中でやったほうがいいらしいですよ。

話を全体としてざっとまとめると、「中心市街地の活性化のポイントは、公共機関、住宅地、商業地を混在させ、出入りのサイクルも作ること。ゾーンニングなんかはナンセンス」という話です。

地域住民の2、3割を集めることができれば、充分に都市が維持していける(逆に言うと、そうならないと先行きが厳しい)らしいです。

もう一つの注目点は、高齢化に伴って起ってくる若者人口の激減というテーマ。これは関西全域にかかわります。

…2020年、18年後ならどうでしょう?  今関西には、0歳から4歳がこれだけいる。18年後にはそれがほとんど残っているでしょう。また、今20代がこれだけいる。ちょっと地方にUターンするけれども、18年後にも9割5分方残っているでしょう。今団塊の世代はこれだけいます。向こう18年、亡くなる人はあまりいない。平均余命は85歳ですから。ですが、相当地方にお帰りになるんじゃないか。それで18年後には2割ぐらい減るけれども、それでも8割が残っている。どうでしょう、以上の予測に特にひどい無理があるようには見えません。ですがその結果、95年に13%だった高齢化率、65歳以上の人口の比率が、18年後には27%。連続ドラマに時々出ていますが、那智勝浦町という、紀伊半島の先っちょの那智の滝が落ちているあたりの町の今現在と、同じぐらいの高齢化率になってしまうというんです。これが京阪神含めた関西全体の運命です。   さあ、関西は大変だ。特にアメリカ村あたりの若者商業や、住宅業界は大変です。インフラ産業が大丈夫でしょうか。福祉負担はまかなえるんでしょうか。まず難しいという気がするのですが...

ここでは18年と言っていますが、今となっては、たかが12年後のことです。そのころまでに都会に人を集めて、活性化できる状態に持っていかないと関西の都市は大変なことになる、可能性が高いと。

このあたりは新スタ建設のための理論武装として使えるのじゃないかな、と僕は思っているのですけれど。

11:00 AM [クラブ関連, 日記・コラム・つぶやき, 経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

02/20/2006

軍隊・警察・テロ

これは極めて重大な指摘。なのでここしばらくの文脈からは逸れるが、メモしておく。

「連邦軍の〔国内〕出動の要求は、警察と軍の区別を誤認するものだ。連邦軍は重装備をもつ警察ではないし、戦争の遂行は、警察的な危険防止の比較変化形(Steigerungsform) ではない。法と秩序の維持は警察の権限であり、軍事手段によってのみ〔対応〕可能な国というのは、内戦の前にある。だが、テロリズムやテロ対処は内戦ではない。警察と軍の間の限界を解消し、平和時に兵士を通りに送ることで、この印象〔内戦〕を呼び起こすべきではないだろう。イスラムのテロリストは犯罪者であり、かつ犯罪防止は、わが警察に信頼がおけるのだ」

この、ドイツ内相の発言の文脈と引用元については、こちら(2006.2.20日分)。

08:45 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/06/2006

左翼?リベラル?

日本は、昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに、正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また、日本人が世界の人々と交わっていくうえにも、極めて大切なことと思います。

この、今どきブログに書いたら右翼さんがウヨウヨやってきそうな発言をしたのは誰か。

この方です。

07:18 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック

01/05/2006

シャロン入院

重度の脳卒中で(朝日の速報)。ガーディアンは、「政治生命は終わった」と見ている。

「待てや、お前」という感じ。エルサレム強行礼拝以来、散々っぱら混乱を演出しておいて、やっと収拾の必要性に目覚めたと思ったら指導力喪失。しかも原因はあきらかに肥りすぎ(というか食べすぎ)。

政治家は仕事終わるまでは節制しろって。なあ…。

12:14 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

11/22/2005

まずよいのでは;皇位継承

皇室典範会議が長子優先の皇位継承順位を全会一致で確認

そういえば、僕の大学教育の約半分は姉家督制と共にあったなあ、と懐かしく思い出したり。

伝統に反するという意見もあるのだが、僕はこれはこれでよかったと思っている。

もちろん、実際に後継者がいなくなってから議論したほうがコトは穏便に済んだだろうし、「継承者不在で永遠に空位」というのも日本的な解決策で良いのではという気もするけども、まあ国民的合意が得やすいという意味では妥当な結論だろう。

なにしろ、これ以外には皇太子に無理やり男児を作らせるか、旧宮家の復活や養子しか皇位継承者を確保する方法がないのだ。国民の統合の象徴なのだから、側室やら追い出し離婚やらといった市民的倫理にもとる行為を強制するのは問題があるし、世襲の(立憲)君主制を取っているのだから幼少時から訓練・教育されていない人を皇位につけるのも問題がある。

というわけで、取り敢えずはこれでいいのではないでしょうか。本当に天皇が必要かどうかという議論は、またゆっくりやればよかろう。

09:36 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

10/10/2005

軍用イルカ

米海軍が中東などで実戦に投入しているもよう。主な任務は機雷除去とパトロール。

他に軍用アシカなどがいて、不審な忍者ダイバーを発見するように訓練されている。

ここ

うきょー。

そういや、ギブスンの「記憶屋ジョニイ」に軍用イルカ出てきたなあ。


04:04 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

09/21/2005

後藤田元副総理死去

19日に亡くなっていたとのこと。

もちろん、思想とか立場とかに異論がないわけではない。しかし、全体としては極めて「まっとうな」人だったと思う。
戦前のエリート官僚から戦後は警察のトップになり、自民党田中派から政界に入り、そして中曽根内閣の官房長官を務めたのだから、日本の権力中枢の表も裏も知り尽くしていたはずで、だから脂ぎった感じになったりニヒリストになったりしても不思議はないのだが、最後まできちんと筋を通すことのできた人であった。

そのあたりは、何て言うんだろう、知性とも常識とも少し違う、品格のようなものがあったのかなあと思う。ニュース23に最後に出たときに、靖国問題にピシッと断を下していた姿は忘れがたい。もう一ついえば、フライデー編集部殴りこみ事件のときの「ビート君の気持ちも分かるが・・・」だろうか。まだ階級社会だった頃の日本の知性を代表するような存在だった。今後、ああいう人はもう出ないだろう。

佐々さんあたりが追悼文を書きそうな気もするんだけど、正直言ってそれはちょっとどうかと・・・。

11:13 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

09/20/2005

6ヶ国協議まとまる

どうやら6ヵ国協議がまとまったもよう。ただ、内容とかを見てみると、

「北朝鮮は、新たな交渉のネタを手に入れた」

という感じになっているのは間違いないかと。まあ、どのみちあの政府はごねるに決まってるんだけど。

しかし前から思っているのだが、北朝鮮の基本路線は自給自足と自主独立のはずで、それを各国が「支援」する形になっているのはどうも奇妙なことではなかろうか。つまり、「これこれの条件が整えば援助してやる」と言っているわけだが、北朝鮮としては本来そんなものは欲しくないはずで、出来れば貰いたくないものを貰うために相手の言うことを聞くというのは、二重にムカつくんだろうなあ、と思う。結果として、「条件闘争で勝利を目指す」という、なんだがわけのわからない状況になってしまうわけだ。

これに対抗するためには、「西側」としては「相手が対応できないほど大量の支援を無条件で雪崩のように与える」のがよいのではないかと僕は思っていて、そうすれば現政権なんかはあっけなく崩壊すると思う。

まあ、その結果生れる民主的政権はより反日的なものになるはずなので、国益派の人が今のやり方を支援して現政権の延命を支持するは理にかなってはいるわけだけど・・・。

03:11 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

09/14/2005

選挙民は人を選んだ

今朝の毎日新聞(大阪本社版)で、高村薫がこう書いている(「政治の『サーカス化』:風の行方05年衆院選を問う」)。

 これまで、専門家は無党派層を潜在的なリベラルとみなして、投票率が上がれば民主党に有利になると言ってきたが、現実は違った。あまり政治に関心がなく、めったに選挙に行かない浮動層のかたまりは、実は膨大な保守層だったことが明らかになった。顔のない大きなかたまりがどっと動き、史上まれにみる巨大な自民党を誕生させた今回の選挙は、これまで目に見えなかった日本人一般の政治的な心象を初めてあらわにしたといえるかも知れない

この議論は、皮肉なことだが小泉流のワンフレーズポリティクスとよく似ている。単純でわかりやすく、部分的には正しい。だが、重要なところで決定的に的を外している。

もちろん、今回の自民党の勝利が何かを表していないというつもりはない。そこには重大な意味があるだろう。だが、それは保守層の登場ではない。ある意味では保守層はとっくに登場しているといえるし、同じ事を別の面から見れば、完全に消滅したともいえる。そんなことはもう大した問題じゃないのだ。

今回の選挙で、一番興味深いのは、共産党と社民党の議席数と得票率である。どちらも、前の選挙のときとほとんど変わっていない。議席数は15前後、得票率は比例区でみておよそ10%である。高村薫的な分類でいうなら、この層こそが「保守でない」人々なのだ。彼らは首尾一貫していて、日和らず、選挙結果に何の影響も及ぼさなかった。

では、残りの人々が保守的だったかというと、そうは言えないと僕は思う。そもそも、自民党にせよ民主党にせよ、「既得権益を守ろう」という主張をしたところは一つもなかった。彼らの政権公約は「改革」であり、主張していたのは要するに「こちらのほうが上手くやれます」ということだ。どちらかの陣営が、格差の拡大に反対するとか、何でもかんでも市場化することに反対するとか、そういうことを主張した訳ではなかった。そういう意味では、もう保守主義者なんかはどこにもいない。もちろん、「新自由主義=保守派」という過度に政治的な位置づけは可能で、そういう意味なら、日本は保守主義者だらけである。

とにかく、重要なのはマジョリティの中で政策論争が全くなかったと言うことだ。だから今回の衆院選は、要するに人を選ぶ選挙だったのではないかと僕は思う。「何をやるか」はもう(「改革」ということに)決まっていて、問題は「誰がやるか」だったのだろう。

その意味では“総論賛成、各論反対”みたいな民主党よりも、自民党の小泉ライオン丸化のほうがはるかにわかりやすく、すっきりしている。自民党の地すべり的勝利は、要するにそういうことだったのだろう。

このことはまた、政策的な選択肢の狭さを示してもいるだろう。維持したい生活の水準とスタイルが固まってしまうと、後のことは大部分、半自動的に決まってくるのだ。
だから、今後もこの流れは続くのではないかと思う。政策ではなく、党首や党としての「人格」が争点になってくる。そしてそこに、「21世紀の右派」である公明党と20世紀以来の左翼が絡んでくる。


もちろん、少数派の光明と課題はそこにある。特に左派は、個人主義的な色合いの強い社会民主主義に看板を塗り替えないとならない。キャスティングボードを握るには、それが絶対に必要だ。残された時間は、もうあまりない。

10:54 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

09/06/2005

ホワイトバンドですか?

 うーん、結構たくさんの人がこれに関して疑問を呈していて、たぶん、その背後には「押し付けがましさが嫌」という気持ちがあるのだと思う。正直、あれは随分わざとらしいですよね。

何というか、コマーシャリズムの手法なのだ。そして、コマーシャリズムは欲望をベースにした消費主義の上にあるからなんとか格好が付くのであって、善意とかを売り込み始めると、とたんに目も当てられない醜悪なものになる。

僕の一番クールでポップな白昼夢は、あのあまりにも格好良いCMが全世界のテレビで放送され、発展途上国のあちこちにも広告が建てられて、アフリカでホワイトバンドが大ブームなることだ。「みんなでホワイトバンドを買おう!」。携帯だって普及してるのだ。発展途上国の購買力は馬鹿にできない。新しい大ヒット商品になったりしてね。

その点について、反ホワイト派(←勝手に命名)の人たちに、僕は百パーセント賛同するのだけど、以下のような見方には賛成できない。

途上国の貧困は途上国の国民の責任である。先進国が豊かさを手に入れるために、どれだけ努力してきたか。彼らはその努力を怠り、その結果として貧しくなったのではないか。経済戦争の敗者が勝者よりも苦しい生活となるのは当然である。それを先進国にも責任があるとし、借金を帳消しにすべし、さらに経済援助すべしと主張するホワイトバンドプロジェクトには全く賛同できない。

ほっときたい 世界のまずしさ

発展途上国の貧しさは発展途上国の国民の責任ではないし、彼らは経済戦争に敗れたのでもない。

発展途上国(という言い方にすら問題があると僕は思うが、それについてはここでは置く)が貧しいのは、先進国の国民が豊かな生活を送るための犠牲になっているからだし、彼らがその位置におかれているのは、のちに先進国になる国々との武力戦争に敗れたからだ。

食糧問題についてちょっと調べた人なら知っているように、我々が穀物と肉類(そして昨今では野菜と魚介類も)を安く手に入れられる(*高いと感じる人もいるかもしれないが、総収入の6、70%が食費に消えているわけではない)のは、南米やアジアの農業労働者を生存レベルぎりぎりの低賃金で働かせているからだ。

あるいはまた、製造業に携わっている人なら誰でも知っているように、製品に比べれば原料は馬鹿みたいに安い。そのお陰で製造業は成り立っているし、日本車をアジア、アフリカの原料産出国に輸出するという芸当ができているわけだが、それが可能なのはひとえに発展途上国の鉱業労働者の賃金がお話にならないほど安いからだ。

「製品は工場で作られるが、原料はその辺に転がっている」、などと馬鹿なことを言ってはならない。採掘はもちろん、採集にだってそれなりの手間がかかるのだし、それを行っているのは工場やオフィスで働いているのと同じ、人間ではないか。必要なものがそんなに違うのか。

試しに、アフリカの鉱山労働者1人/1日あたりの産出量と日本の工場労働者1人/1日あたりの製造量を計算し、それに対して払われる賃金を比べてみるといい。2倍や3倍ではきかないくらいの、場合によって100倍程度ですらきかないくらいの差があるはずだ。日本の労働者がいくら精緻な技術を持ち、効率よく働いているからといって、アフリカの肉体労働者の何倍もの栄養素を必要としているわけではあるまい。

そして、そのような極端な不公平状態があるのは、征服とそれに続く植民地支配、そして独立後も手を変え品を変え、あらゆる手段を用いて(まあ、そのほとんどが武力を背景にしているのだけど)従属的な経済体制に旧植民地を押し込めてきた先進国の意図的な政策のためなのだ。

もちろん、上記のような状態が正義だと思う人は思えばよいのだし、正義など知ったことではないと言いたい人とは言えばよいのだと思う。


ただし、剣によって生きるものは剣によって滅びる。悪意と無関心によって生きるものは、悪意と無関心によって亡ぼされる。いつか必ずある発展途上国からの武力報復を忘れないことだ(それはテロという形でもう訪れているのかもしれないし、核兵器も随分安価になってる)。そのとき、彼らは僕たちの生命や文化を尊重する理由を毛筋ほどでも持っているだろうか?
そうなる前に、あるいはそうなったときに、僕たちを救うのは、やはりどれだけの善意を行動に表しているか、アンフェアネスをどれくらい反省し、是正しようとしているかなのだと思う。

だから、慈善活動にメリットはある。それは、善意によって信頼と、究極的には安全を買うことなのだ。だから、こんなふうにいえるだろう。

「あなたか、あなたの子孫が殺されないために、今、何かをしよう」

僕? いくつかのNGOへの寄付と、フェアトレード。でも、それは何やってるかとか、人前で言うようなことじゃない。

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08/17/2005

戦後60年

えー、戦後48年、あるいは64年に比べて60年がどうしてそのように特別なのか、イマイチ理解できていないワタクシです。しかし昨日NHKでやっていた「アウシュビッツ」はすごかったですね。考証がしっかりしてるし、CGの使い方も(ちょっとPCゲームみたいだったけど)うまかった。BBCぐっじょぶ。

で、日本に関してなんだけど、この社会分析的ブログさんの記事「ひとは『謝る』ことができるかはかなり良いと思いました。さわりを紹介するので、興味のある方はぜひ。

こちらとしては「謝った」にしても,相手が許してくれなければ実際謝ったことにはならない,というのがシビアな現実である。というか,許すか許さないかは怒っている方が決めることなのである。ということになると,「謝る」状況というのは謝る側が圧倒的に不利だ。
「ごめんなさい」は「もうしません」という意味である
「ごめんなさい」と言っていたのにまた同じことをしているのでは,「あいつの謝罪は口先だけだ」と解釈されることになる。この言葉を発する相手をわれわれが許す気になるのは,その相手が「もう二度と同じことはしません」という未来への約束を守るであろう可能性に賭けるとき,そのときのみである。すなわち,「謝罪」という言語行為は,「約束」という言語行為の側面もまたもつだろう。
アジア諸国はいま日本政府を「信じる」ことができない状況にある。その証拠にシンガポールその他の国までが日本政府を批判しはじめている。「ドイツにひきかえ日本は……」と世界中に必ず言われる。「何でオレたちだけが非難されなきゃならないんだ!」と逆ギレする前に,思い当たらねばならない。そもそもオレらはみんなに信用されていないということに。

今回は、単なる紹介なのでトラックバックはしない方向で。

09:36 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

08/12/2005

左翼はどこに行った

選挙の話、引き続き書きなぐり。

僕は、今回の選挙を郵政民営化の賛否だけを問うものだとはおもっていない(その意味で、Dead letterさんの反シングルイシュー論には賛成)。

ただ、「争点の一つである郵政民営化についてはどう思うのか」といわれると、この点について微妙。というか、投票したい政党を見出すことができない。

要するにオルタナティヴが不在であるということで、この点については前にも書いたのだけど、もう一度書きなぐっておくことにする。

この種の問題についていつも思うのは、もっと地域住民の声が反映される民主的な組織にしてほしいということ。具体的には、中央省庁がコントロールしないものをつくってほしい。

これをコイズミ語で言い換えると、「政府じゃなく民間で」「民営化推進」ということになるのかもしれないけど、それはちょっと違う。この世には政府と民間企業しか存在しないわけではないし、公共セクターは行政機関の独占分野ではない。

郵政に関して言うと、NGO、NPOでも全然OKだと思し、それと民間企業体は共存可能なはずだ(というか、都市部でないところでは、正直、営利企業では辛いだろう)。
ついでだが、郵貯、簡保に関しては、断固民営化すべきだと僕は思う。あれらはそもそも、「貯金・保険制度の教育と普及を目的に」導入された制度だ。その目的はすでに充分果たされた。これ以上置いておくべき理由は何もない。

もう一つついでに書いておくと、これは単なる「地方分権」論ではない。

郵政に限らず、公共セクター一般について、単純に地方に財源と権限を譲渡しただけでは財政的に苦しくなるところが出てくるのは明白だし(過疎地ほど人が分散して住んでいるので、「頭数が少ないからお金がかからない」とはならない)、地域の人がみな明るい民主主義の実践者だというわけではない(というか、田舎であればあるほど非民主的な政治風土があるような感じがするのだけど、偏見だろうか)。また、サービスの水準を定めておくことも必要になるだろう。

だから、全体を調整・監督する機関は必要だろうとは思う。問題はそれを必要最小限のものにすることで、イメージとしては「大規模に改善された介護保険」のような感じだ。行政のチェックと地方自治体の支援のもとに、企業やNPOが現場を担当する。

僕としては、今の公共セクターのほとんどはこの方式でやれるし、やるべきだと思っているのだけど、とほほなのは、郵政についてですらこれを提案する党がないこと。民間企業(とは名ばかりのNTT的独占企業)か、肥大化した公社かの選択しかないというのでは悲しすぎる。

なんとかならないのかね、実際。

12:18 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

08/10/2005

政治の話

毎日新聞の世論調査によると、自民党の支持率が上がってきているもよう(朝日読売も似た傾向)。

やっぱり、「郵政民営化に反対する」党は支持しにくいよなあ、と僕も思う。というわけで、今後は(自民党側からすれば)いかにして「古い自民党」と切り捨てるかということになるだろうし、民主党側は、その切捨てができていない、と主張していきたいところ。

まあ、僕なんかからみれば、「新しい」ってどれくらい新しいんだか、ともおもうんだけど。

そういう意味で、かなりがっくりきているのは、またしても左翼のだめっぷり。

共産党にしても、民営化反対一本槍だもんなあ。そりゃもちろん、ユニバーサルサービスの重要性はわかるし、市場至上主義の危険性も理解はできる(ああ、しかし、それを言うのに「アメリカいいなり」とかのキャッチコピーを使ってるのだった…)。

しかしだからといってああた、あの権力と既成秩序の象徴みたいな郵便局制度(地方に行けばなおさら!)をそのまま保存すべきだ、と主張することはないでしょうよ。

というか、地域の事情によって、郵便制度って色々なやり方で維持されるべきだと思うのだよね。必ずしも、イコール営利企業化でない形も含んで。でも、それは直ちに国営、ということでもないと思う。そのへん、いつも書くけど、ユーロコミュニズムとか本気で吸収してる?

09:35 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

06/28/2005

少子化について

なんか多いと思ったら、NHKが特集組んでたのか。

率直に言って、みんな頭悪すぎ。というか、正確な情報を知らないのですごい的外れな記事が書けちゃってる。
たとえば、中国の属国になるなんていうのは正に噴飯もの。少子化は発展途上国(もちろん中国も含む)にも広がる、全人類的な現象で、それを解っておかないと外れる。

この辺りの事情を理解するには、人口学の啓蒙書が手っ取り早い。ちょっと古いけれども『人口ピラミッドがひっくり返るとき』は、なかなかの好著だとおもう。まず、これくらいは読んでからにしようよ。


10:50 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

06/10/2005

ある作家の意見:この前の戦争などについて

どうも最近、日教組にやられてるとかそういったコメントが多いな、と思っていたら、あるサイトで僕の記事が取り上げられているらしい。その中では、中国共産党の価値観に染まっている、というような意味づけになっているようだ。

うーん、しかし、僕はあまり教師の言うこととかを信じないタイプの生徒だったんですけど・・・。
むしろ、ある作家の影響がとても大きいのだと思う。というわけで、その作家の印象的なフレーズをちょっと引用しようか。こういう作家のことを、右翼の人はどう思うのかな。

まずひとつめは共産主義について。もちろん、小説なので真偽のほどは定かでない。「好古」は、日露戦争で活躍した有名な軍人、秋山好古だ。

 ただ清岡には社会主義というものがよくわからず、率直にその解説を好古にもとめた。ところが清岡にとって多少意外なことだったが、無口で無骨だとおもっていた好古がその方面の知識を豊富にもっていたことである。
 「なあに、耳学問だよ」と好古はいった。清岡はいよいよ驚き、閣下は社会主義者とおつきあいがあるのですか、ときくと、ああフランスで知り合ったよ、と好古は答えた。
 好古が若いころフランスに留学していたとき、しばしば酒場へ行った。かれのゆきつけの酒場は社会主義者のあつまる所で、ある日、袖をひかれた。
 袖をひいた男が、社会主義者だった。かれは好古にむかって社会主義がいかに正義であるかを説いた。やがて親しくなると、地下室に案内された。そこでその方面のいろんな連中と会った。
 「決して悪いものじゃないよ。いい所もあるよ」
 と好古はこのとき清岡にもいったが、かれの晩年共産党の問題がやかましくなったときも「悪意を持って共産党の問題を考えるようでは何の得るところもない」といったりした。

どういうものなのか感じをつかんでもらったところで、次は、同じ作家の別な本からの引用。いわば、こっちが本論だ。

このように、国内機関(いわゆる軍部)が積み上げられてゆく(ママ)積木が、時代の気分の肯定をうけなかったとはいえず、批判や冷静な意見は、つねに小声でした。歴代の内閣は、国家の運営に万全の責任を持つという機能と威厳をうしなっており、関東軍の独走に対し、この幻影のような積木を追認したり、糊塗したりするだけでした。軍部の“調略”は多分に子供じみていましたが、それを亡国の遊びだというふうに根底から批判しつくすという意見が大展開されたということは、なかったのです。(中略)
“子供”が積んでいく積木を、いいトシをした大人たちが感心したり、当惑したりしながら、賛美したり追認したりするうちに、戦争の規模は拡大して、仏印(ヴェトナムなど)に進駐し、そのことによって、ヨーロッパの既得権に挑戦することになります。“大東亜共栄圏”などとは、むろん美名です。自国を亡ぼす可能性の高い賭けを、アジア諸国のために行うという−つまり身を殺して仁を為すような−酔狂な国家思想は、日本をふくめて過去においてどの国ももったことがありません。かといって、当時の人たちは、日本は帝国主義とは思っていなかったのです。このあたり、じつにあいまいに考えていました。考えを深めようにも、事態が事態を生んで、そのころはたれもが多忙でした。いまからみれば滑稽だし、自他の死者たちのことを思うと、心がいたみます。(中略)

陸軍が、石油もないのに旺盛な対外活動をおこす。それが累積して歴代内閣が処理できないほどの大事態になり、事態だけが独り走りする。ついにアメリカをひき出してしまう。  それで、日本は戦争構想を樹てる。何よりも石油です。勝つための作戦よりも、まず一路走って石油の産地をおさえる。古今、こういう戦争があったでしょうか。(中略)

南方進出作戦−大東亜戦争の作戦構想−の真の目的は、戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。蘭領インドネシアのボルネオやスマトラなどの油田をおさえることにありました。(中略)

それを総称して、大東亜共栄圏ととなえました。日本史上、ただ一度だけ打ち上げた世界構想でした。多分に幻想であるだけに−リアリズムが稀薄なだけに−華麗でもあり、人を酔わせるものがありました。  石油戦略という核心の部分は、むろん隠され、多くの別なことばにつつまれて窺うことができません。この構造を裏付けるに十分な経済力も戦力も日本にないということまで、さまざまなことばによっておおいかくされ、人々に輝かしい気分をもたせたのです。(中略)

 なにしろ、いまでもこの幻想を持続している人がいます。この幻想のもとにそこに参加して生死した数百万の人々の青春も死霊も、浮かばれない、という気持ちがあるからでしょう。しかし、自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになるのです。大変な勇気が要ります。この勇気こそ死者たちへの魂鎮めへの道だと思うしかありません。  あの戦争は、多くの他民族に禍害を与えました。領地をとるつもりはなかったとはいえ、以上にのべた理由で、侵略戦争でした。ただ当時、日本が宣戦布告したのは米英仏蘭であって、その諸領土のなかの油田を奪おうとし、また英国のシンガポール、米国のコレヒドールなどの要塞を攻撃したのです。この点では欧米との闘いだと当時の日本人は思っていました。  しかし土地に現実にいるのは土地の人々であって、その人々が、日本軍の作戦によってひどい目にあいました。  あの戦争が結果として戦後の東南アジア諸国の独立の触媒をなした、といわれますが、たしかにそうであっても、作戦の真意は以上のべたように石油の獲得にあり、その獲得を防衛するために周辺の米英の要塞攻撃をし、さらには諸方に軍事拠点を置いただけです。真に植民地を解放するという聖者のような思想からでたものなら、まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです。  ともかくも開戦のとき、後世、日本の子孫が人類に対して十字架を背負うことになる深刻な思慮などはありませんでした。昭和初年以来の非現実は、ここに極まったのです。  地域への迷惑も、子孫へのつけも何も考えず、ただひたすらに目の前の油だけが目的でした。そこから付属してくる種々の大問題は少しも考えませんでした。数学のよくできるいわば数学のおたくのような少年が、仮の一点を設けて、ここで一つ数式をつくっていけば全部解答ができるというような感覚で、産油国にコンパスの心を置いて円を描いたということではないでしょうか。こんな国家行動は、世界史にあったでしょうか。

まだ続くのだが、疲れたのでここで終了。出典は、またいずれ。

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06/02/2005

僕は関係ない:この前の戦争について

先週以来、やや否応なくという感じで、第二次世界大戦の話を取り上げ続けている。
ここまで書いていると「じゃあ、お前はどうなんだよ」という声が聞こえてきそうだ。「お前は戦争についてどう責任を取るつもりなのか?」、「中国人に反省しろと言われたらどう答えるのか?」と。

僕の答えはきわめてはっきりしていて、「僕は関係ない」というものだ。

南京大虐殺も、真珠湾攻撃も、バターン死の行進も、日韓併合(は第二次大戦とは関係がないのだが、とりあえず含めておく)も、大日本帝国がやったことだ。僕は大日本帝国の後にできた日本国の国民で、両国は時代的に重なっていない。しかも、僕は大日本帝国の政策を支持していたわけではなく、というか産まれてすらいなかった。ゆえに、僕は戦争とは何の関係もない。だから、責任を取ることはできない。

ただ、以上のことは僕が大日本帝国の行為を肯定・評価することを意味するわけではない。

僕は大日本帝国を憎んでいる。その憎しみは、ドイツ第三帝国やソ連に対する憎しみと同等のものだが、だからといって憎しみの質に違いがあるわけではない。

そして、(これが更に重要なことなのだが)僕は日本国が大日本帝国と無関係・無交渉であることを強く望んでいる。なぜなら、日本国は僕が否応なしに所属させられている政治共同体であり、その政策は僕と関わりがあるからだ。僕は、自分が憎み、世界の多くの人からも憎まれている国と日本国が関係を持つことを望まない。それは僕の利害・関心と連続することがらだ(まあ、実際には僕の意思が政策に反映される可能性は無限に小さいのだが、そのことはともかく)。

もちろん、日本国には(そしてその国民である僕にも)、あの戦争についての賠償を行う義務があると思う。それは、我々が大日本帝国から相続した負債の一つだ。日本国は大日本帝国が築いた有形・無形のインフラを相続し、そこから利益を得た。しかし、その代わりに負債もまた相続せざるを得なかったわけだ。

そういう意味で、我々はあの戦争と関わらざるを得ないと思う。国家間の賠償は講和条約で済んだ形になっているのだが、対個人の賠償には疑問の余地がある。賠償を請求する人が出てくるたびに、我々はあの戦争で起こった事を検討せざるを得ないだろう。しかし、それだけだ。
それ以上の関係を持つべきではない。「我々は関係ない」と政府は言うべきだし、(生死を問わず)大日本帝国の政策決定に責任があった人と関りを持つべきではない、と僕は思う。

そうなって初めて、僕はアジアや欧米の人から戦争被害について言われても、「それは大変に不幸なことだったし、あなた方の苦痛と憎しみを共有するけれども、特に責任を取る必要があるとは思いません」と、言えるようになるだろう。

外交方針がとか、国のあり方はとかいった議論は、そこまで行ってからようやく始められるのじゃないかと思うんだけど。

11:08 AM [日記・コラム・つぶやき, 経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (13) | トラックバック

06/01/2005

教育とパイプライン

いつも結論が出ない香港フェニックステレビの時事弁論会。
今回のテーマは、「公立学校の教師が家庭教師をするのを禁止すべきかどうか」

びっくりするのは、話題が「兼業は本業の質を低下させないか」対「(家庭教師を必要とするような)教育需要をどうまかなうか」という点に収束すること。
日本でなら真っ先に出てきそうな(家庭教師先の生徒の成績を不当に上げようとする圧力が生じることで)「選抜が不公平になる」という主張をする人は、メールを送ってくる視聴者を含めて一人もいない。

「教育は実力をつけるもの」と理解されていて、日本や欧米のように“就職につながるパイプライン”という見方はないみたいだ。本当に実力主義なのか、単に気づいていないだけなのか、はたまた混乱期だからなのか、ちょっと興味を引かれる。

06:09 PM [映画・テレビ, 社会ネタ, 経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

05/25/2005

ところで:A級戦犯

あらためて思うのだけど、靖国神社で参拝されているA級戦犯て、ただ死んだんじゃなくて「しけい」になったんだよな。戦争犯罪で。【追記あり】

その人びとを、「外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人」として奉ってるんだから(ちなみに、戦争に反対して殺された人とか、空襲で死んだ人とかは祭神には入ってない)、

「あの戦争は間違ってない」「無条件降伏はなかったことにしたい」

と言っているように見える。だろうね、普通。

【追記】この記事などを見ると良くわかるのだが、A級の戦争犯罪(「平和への罪」)「だけ」で死刑になった人はいないらしい(従って靖国神社にも合祀されていない)。
A級戦犯で死刑になった(靖国に入っている)人は、B級の「戦場における他国の市民に対する残虐行為など『通例の戦争犯罪』」でも有罪になったというケースのようだ。なるほど。

07:19 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (45) | トラックバック

非常に合ってる:日中関係

日本側は「なんという未熟で感情的な国」か、と思っていて、中国側は「日本は我々を馬鹿にして意見を尊重しない」と思っているわけだ。

合ってるな。

09:15 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

05/23/2005

対話不能状態

訪日中の中国副首相が、小泉首相への表敬「だけ」キャンセルして帰っちゃったらしい。

公式見解がどうあれ、事の発端は「靖国参拝に外国がとやかく言うのはおかしい」という小泉首相の国会答弁であるのは間違いない。もちろん、首相(を含めた日本人)が戦犯をどう祭ろうと(はたまた先の戦争を反省しようとしなかろうと)勝手なのはそのとおりだが、それを言うなら中国が日本に対してどんな態度を取ろうが勝手なわけで、国際問題に発展するぎりぎり手前のラインで不快感を表明したものと推測される。

まあ、もともと小泉くんは衆議院議長におこられちゃうほど意見の違う人と議論したがらないタイプではあるのけど。しかし、対話が成立しないなら、後は実力勝負になる。その辺の目途は十分立ててある、のかねえ。

【追記】靖国神社参拝に関しては、この記事にほぼ賛同。なお、こちらにも詳報。

09:49 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

05/21/2005

見れば見るほど

国際海洋条約の「第121条第3項 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」に該当するように見えるんですが、>都知事

もっとも、このサイトを見ると、戦前からの軍事利用の経緯などもあって南鳥島に関してはいろいろと複雑らしい。

とはいえ、素人が見ておかしいと思うことを基盤にする政策は、やっぱりおかしいと僕は思う。経済水域のことだけが問題なのなら、交渉で解決してしまえば良いのにね。

10:06 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

04/23/2005

成績あがったよ!

文部省テストでは3年前より成績が向上

社会現象について、印象でものを言ってはいけないことを示す好例(調査結果の解釈は色々ありえることをしめす好例でもあるけどw)。

最低でも10年くらいは持続して実施しないとわからないんじゃないかね。教育方針の効果なんて。

10:50 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

日本文化の真髄

本音と建前の使い分け、ではなくて、本音がばれても構わないと考えるところ。
どちらかというと、建前は本音を伝えるためのツールとして使われているところがある。

というわけで、反省演説の裏で議員80人が靖国参拝。旧軍の施設で戦争への反省なんか微塵もない神社に参拝しといて、「戦時に亡くなった方の御霊を参拝するのは自然な姿。中韓など近隣諸国の皆さんにご理解いただけないのは非常に残念だ」もないもんだ。

10:29 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

04/19/2005

中国側の発言:「お金ないんでしょ」って

当代江北日記さん経由(その前にも経由があるのだが略)、中国のネットからのメッセージ。
以下の部分が非常に気に入った。実は、そうなんです。

かつて周恩来総理が放棄した戦争賠償を、我々は今になって払えとは言わない。あれだけ多く亡くなった命は金に換算できるものではない。日本にはそんな金を払えないとも知っておりますから、ほしいとも思いません。

原文はここらしいのだが、ちゃんと表示できない。

10:51 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

04/17/2005

かなり問題があると思うな:反日問題と「未来志向」

大西科学さんが、先週、絶妙のタイミングで怒りのブドウという記事を書かれている。そのタイミングは今週も生きていると思うので、ちょっと引用する。

・・・言われたほうが快く思わないような内容だと、文の最初から最後まですべてについて、それはもう本筋に関係ない言葉の端々まで気をつけていないといけない。もちろん、本当はどんなにひどい文章でもそこに一片の教訓が読み取れれば、他はとりあえず置いて、教訓に耳を傾けるべきである。そのはずだが、人情としてなかなかそう賢くは考えられないものだ。たとえば、

「あなたの服装はだらしない、もっと中学生らしくちゃんとしなさい。女の子なんだから」

と言ったとする。聞いた方は「だらしない」を教訓として、だらしなく見えないように気をつけようと思うだろうか。そんなことはない。わからないが、たぶんそう考えない場合が多いはずだ。「『ちゃんとする』って何だ、中学生らしいって何だ」「女の子だとどうして服装に気をつけないといけないのか、男女差別じゃないのか」等と考え始めるのである。

何が言いたいのかというと、もちろん、中国のデモのことだ。多分、僕たちはあまりデモのことを批判すべきでないと思う。そこにやりすぎがあったり、不純な動機があったりするのは確かだろう。でも、それを指摘して何になるのか。単に自己満足が得られるだけだ。それは我々にとって非生産的な行為なのではないか。それより、ここから教訓をくみ取るべきだろう。

率直に言って、ことあるごとに、まるで呪文のように「未来志向」を唱える政府のやり方は、かなり「ちょっと・・・」なのではないかと僕は思う。そこに悪意や策謀があるかどうかは別にして(多分ないのだと思う、このことは昨日書いた)、悪いことをした人が、過去は水に流しましょうと言っているように見えるのだ。しかも同時に、過去を反省する必要はないといっているように見えることもやっている。
真意がどこにあるかは別にして、これは外から見るとかなり腹の立つことなのではないか。僕はそう思うし、日本にアイデンティティを持つものとして、自分たちの政府にそのような態度を取って欲しくないと思う。

と、以上のようなことを考えて(大西さんと同じくらいのタイミングで)、これを日本国内に置きかえたパロディを書いた。過去のことに開き直る人がどんなに不愉快に見えるかを書こうとしたのだが、読んでくれた(読まされてくれた)人からは、「文脈がよくわからなかった」という評価しかいただけなかった(凹。

というわけで、解説を書く。

この記事は、ある政治家の立候補記者会見のようすを、テープ起こししたという設定で書いた。政治家はかつての大物国会議員だが、20数年前、在職中に実質的に所有していた食品会社が砒素を混入した商品を販売して顧客を死亡させるという事故をおこし、さらにもみ消し工作をしたことがスキャンダルになって辞任している(この過程で遺族のひとりが抗議の自殺をするという衝撃的な事件がおきた)。
今回彼は、ほとぼりがさめたと判断して議員に再出馬することを発表した。しかし、被害者を中心に抗議する人々も多く、落選運動も起された。こうした運動にシンパシーを感じる記者もいて、会見は波乱含みの展開になった。なんとか事態を収拾た秋津島だったが、終了間際になって大変なことがおこる・・・。

という次第。では、記者会見場の様子をどうぞ。

12:53 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

04/16/2005

「大日本帝国」:過ぎ去ろうとしない過去

いつもカッコ良い、note of vermilionさん。今回のも名言。

なぜ大日本帝国の行為を「自己の過去」として引き受けてしまうのか、ということだ。むしろ「相続した負債」としてとらえるべきではないのか。現在の日本国は、大日本帝国を敵として打ち倒して成立した国家ではない。そのことは、やはり、何らかの問題を禍根として、残しているのではないか。というか、いつまでたっても同じ事をするんじゃないかと思われるのは、同じ国家であることをことあるごとに日本国家が表明するからだろう。 (中略)

実際、現在の日本国家が大日本帝国を敵として別の国家として成立して取って代わった国家であったら、責任論への構えは異なったものでありえただろう。よくいわれるドイツと日本の違いは、ドイツが「もっとあやまった」からでも「中国よりもヨーロッパ諸国がものわかりがよかった」からでもない。そうではなく、現在のドイツ国家が、第三帝国を、たしかに事実として敵として取って代わった国家ではないけれども、理念的に、そのような国家として、また実際敵として戦った社会民主党を政権党としたこともあり、自己を他者として定義したから、もっと具体的には、ある意味でずるいことだけれども、「悪」を「ナチス」という形で自己の過去というよりも他者として規定したからだ。

これで、ほぼいわれるべきことは尽くされていると思う。ただ、それだけでは釈然としないという向きもあろうと思うので、勲章の話を書く。

非常に驚くべきことだと思うのだが、日本国政府は戦死した大日本帝国軍人の「生前の功績を顕彰する」ために、天皇の名前で遺族に勲章を贈っている。ここでいう「功績」は、戦争でたてた手柄のことであって、それ以外の平和的な何かではない。つまり、日本政府は公式にあの戦争を表彰しているのだ。

この辺の事情は、高校の頃に読んだ松浦玲の『日本人にとって天皇とは何であったか』に詳しいのだが(そういえば、松浦玲って『徳川慶喜』の著者だよな、びっくり)、こちらのページにちょうどいい箇所が引用してあるので、孫引きさせていただくことにする。

戦争中の叙勲手続きでは、戦没とともに、まず「御沙汰書」なるものが届けられた。これは、“かくかくの理由で勲〇等に叙し旭日章(または瑞宝章)を贈る”という決定の通知である。(中略)その御沙汰書にははっきりと「支那事変に於ける功により」「大東亜戦争における功により」「今次戦争における功により」などと書かれているのだ。
   戦後になっても、ことは変らない。そもそも戦後戦没者叙勲が再開された理由は、先の調査室長補佐によるとこうであるという。
   この前の戦争での戦没者のうち、約33万8千人に対しては、「御沙汰書」と勲章が届いているけれども勲記が届いていない。また68万6千人については、「御沙汰書」だけが出ていて、勲記も勲章も渡っていない。さらに、当然御沙汰書が出されるべき状況で死にながら御沙汰書も出ていないものが約百万。これでは、死者に対して不公平である。同じ基準で叙勲手続きが最後まで完了されなければならない。

ここで、「先の」といわれている調査室長補佐というのは、厚生省援護局叙位叙勲調査室長補佐のことだ。少なくとも80年代までは、政府が積極的に戦功を認めていたわけで、これで本当に日本は戦争を反省しているのか、と言われたら「はい、そうです」ということは難しいのではないかと思う。

他人の国の教育がどうのと言う前に、自分の国についてちゃんと反省したほうがいいのではないか。ていうか、こういう話って、知られてないのかな?

08:53 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

小泉純一郎断固支持

サッカーと同じで、内実は色々あるのだろうと思うが、外からは国際関係のことを何にも考えてないように見える。そこがステキ。

何せ、「とりあえずアメリカに追随する」という以外に、ほとんど何の外交政策もないように見えるのだ。靖国参拝のせいで隣国との首脳会談が何年もできてなくても気にしないし、国連安保理入りに全力を傾けている気配もない。かといって、領海や権益に関心があるのかというとそうでもなく、日系企業を保護する気も、ガス田の開発に取り組む気もない。6ヶ国協議でも、拉致問題以外にはあまり関心がなさそうだ。

つまり国内政治を最優先しているわけで(靖国は遺族会の支持を取り付けるためだし、竹島は島根県、教科書は文教族の内部事情に配慮。拉致は議連との力関係をみているだけだ)、外交は補助手段程度に考えられているようだ。これが望ましいかといえばそうではないに決まっている。とはいえ、下手な外交政策を展開するよりずっと良いような気もするのも、また確かだ。

少なくとも、この方針でやっている以上、日本が他国に侵攻するというようなことは絶対に起こらないだろう。僕は小泉政権の外交無策を断固支持する。日本は、東アジアの小国としておとなしく暮らすべきだ。

12:02 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック

04/11/2005

守ってあげてよ:反日問題

昨日も書いたのだが、ネットなどで右翼的な主張を繰り広げてきた人たちは、今どこにいるのだろうかと思う。

このブログを読んでくださっている方はご存知だと思うのだが、僕はこれまで、中国を刺激しないほうがいいという主張を、時々してきた(熱心に中国問題にコミットしていたわけではないから、記事は少ないが)。日本には中国に嫌われる余裕はない。靖国とかで中国の反感を買ったりしないほうが国益にかなう、という主張である(本当は日本と中国という線引きもないほうが良いと考えるが、それは遠い未来の課題なのでさておき)。

しかし、一方には違う意見の人がいて、中国の顔色をうかがったりなどしないほうが日本にとっては良いと主張される。要するに右翼である。
意見が違うのは別に構わない。僕はその主張を尊重する。

というか、どちらかというと尊重を期待しなければならないのは僕のほうだろう。今、多数決をとれば、確実に右翼側の人のほうが勝つはずだ。

僕が言いたいのは、そのことの是非ではない。どちらの意見が正しいか、というのはこの際問題ではない。気になっているのは、中国に住んでいる日本人や、中国に進出したり、依存したりしている日本企業で働いているに日本人のことだ。

そうした人たちの利害が、今、深刻な危機にさらされていると思う。こういうときに、色々なところで世論をつくろうとし、しかもそれに成功した人たちには、それなりの責任が生じるのではないか。彼らを守ってあげるのは右翼の務めではないのか。

今さら、中国の民度やら洗脳やらを批判しても始まるまい。彼らは現に、今、行動しているのだ(それに中国人を批判したからといって、中国市場で日本企業の立場が良くなるとも思えない)。もはや日本の世論に働きかけている場合ではないと思う。右翼がやるべきことは、中国政府や世界各国に働きかけ、中国の反日勢力に(もちろん、非暴力的な手段で)直接対抗することではないのか。

現地の店舗を投石から、現地の商品を売り上げ減から、外務省のサイトをサイバーテロから、守ってあげてください。

よろしく、右翼の皆さん。

11:27 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

04/10/2005

安保理や歴史認識問題、反日デモなどについて

そのようなわけで、「未来志向のパートナーシップ」を掲げて、出馬を決意したわけです。では、次の質問をどうぞ。

:・・・<聴取困難>
:いえ、その件につきましてはですね、既に解決済みと考えておるわけですよ。もちろん、私が所有していた会社で当時作っておった製品に関連して人が亡くなった、これは事実です。事実、非常に不幸なことでありました。しかし、私はいつまでもそのようなことに拘泥しておってはいかんと考える。そもそも裁判のほうも、その、刑事の1審では非常なお叱りを頂いたが、2審では執行猶予がついた。民事もほうも、その、「秋津島食品 対 砒素混入被害者訴訟」において、2審で和解が成立しておるわけです。つまり、司法の場においてもみそぎはすんだと。そう考えておる。もちろん、被害に遭われた方には、非常に遺憾です。しかし、その方たちとの和解はもうすんだと、そう考えております。

:・・・(聴取困難)
:いや、それはね、いま仰られたけれども、一部、一部の人であってね。それも見てると、若いんだよな。事件当時はちょっと生まれてなかったんじゃなかろうかと、フフ、そういう感じだよね。そういう人たちがあの頃の事情をわかるかというとね、それはないだろうと考えておる。だから、言い方は失礼かも知れんれども、失礼ながらだ、そのいわゆる「抗議行動」については、私は真剣に考えてはおらない。一般の有権者の方々は、私どもの未来志向の提案を受け入れてくださると、そう確信しております。

:・・・<聴取困難>
:いや、それはね・・・、それは違うでしょう。被害者の女性が自殺したと。そりゃ亡くなったことは事実ですよ。私もそれは否定せん。しかしそれは事件とは関係がないということですよ。そもそも遺書にだって、「子どもの将来が案じられ」とある。あんたは知らんかもしれんが、あの女性はいかがわしい商売にかかわっとってだね、随分借金があった。おまけに、前日に息子が逮捕されとるんだよ。中二、いや高二だったかね、とにかく学生だよ、

:・・・<聴取困難>
:遮らんでもらいたい、言葉を遮らんでもらいたい。記者会見の趣旨を尊重してもらいたい。とにかく、そのドラ息子がだよ。そして借金があった。金で体を、いや、要するに金目当てなんだよ。あんたらは聖人のようにいうがね、まったく、その辺に関しては大いに誤解がある。当時の資料を読んでもらえば分かることなんだ。この件に関しては警察もつかんどるんだから。

:・・・<聴取困難>
:いや、だから自殺じゃないといっとるでしょうが。その、いわゆる遺書、さっきは遺書といったけれども、俗に遺書とよばれとるメモを発見したと称する人物、これがドイツ人の牧師なんだよね。これは怪しい。実に怪しい。まちがっとるんだよ、彼の書簡が。たとえば私を、わたくしをですよ、37年当選の実力派議員と書いとるが、私の初当選は29年ですよ。37年ならまだ新米だ。はは、実力派どころの騒ぎじゃない。うむ、話が逸れたが、とにかく、あれに関しては信用できんというのが私の考えです。

:・・・<聴取困難>
:うむ、お説の通り。先ほども申し上げたが、あれは全く無意味だと考える。そもそも事情をわかっていない。第2に、「未来志向のパートナーシップ」の意義を理解しておらない。要するに反対分子だね。ああいう活動は誰の利益にもなりませんよ。それに、そもそもあの地所、土地は私の私有地であってですね、今回の選挙事務所にも考えておった場所なんです。それを不法占拠ですよ。まず自分の立場を分かってもらいたいね。これに関しては、私はもう、断固たる措置をとる。法的措置を取ります。それから、最終的には、ちょっと時代がかっておるかもしれんが、機動隊ね、断固たる実力行使だ。これも否定できんと考えます。これは断固申し上げておく。

:・・・<聴取困難>
:それはね、理解してもらわんと困る。<叫び声>まず「未来志向」ということを理解してもらう。それが基本ですよ。それができんというヤツとは話し合えんわね。<怒号>話し合えない。先ほども申し上げたが実力行使の可能性、あ、なんですか君たちは。出たまえ、今は会見中なんだ。出て…<怒号続く>馬鹿…、馬鹿なことはよせ…<会場騒然><聴取不能>物を投げるな、暴力はよせ<聴取不能>話し合い、民主主義ということを知らんのか君らは、君ら若い<聴取不能>暴力は、暴力はいかん。よせ・・・<大きな叫び声>

<録音終わり>

02:33 PM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

04/06/2005

TAKE,TAKE

久しぶりに韓国の新聞を見たら、島と教科書で大騒ぎ

なんというか、非常に割り切れない。本当に国益に関わることなのかどうかという評価は別にして、六カ国協議とか国連安保理改革とかの事態を前にして、ちっぽけな無人島と鮑に引っかかっているというの何なのか。

中国を牽制したいアメリカの思惑とか、そのアメリカを牽制したい中国の動向とか、漁夫の利を得たい韓国の戦略とか色々なことがあるのはわかる(その辺のことについては、中央日報のこのコラム参照。こういうのを書ける人がいるのは大したことだと思う)。
それを全部計算に入れた上で言うのだけど、日本政府には複雑な国際情勢のなかで利益を最大化し、損失を最小化する戦略を立案・遂行する能力がないようだ。駆け引きをする気はなく、なんでも手に入れたいらしい。
国内情勢がギブ&テイクを許さないともいえるが、とにかく結果としては同じである。1930年代にもそれでひどい目にあったのだが、何の反省もない。やれやれだ。

ちなみに、この「対馬の日」は素晴らしい。韓国政府にはぜひ国民的運動として推進して頂きたいとおもう。現に住民が住んでいる島を合併したいという無体なことを主張してもらって初めて、「日本人は国際的に非常識」とか言われずに議論ができるってもんだ。

11:35 AM [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

04/05/2005

「格差社会」について

 再放送をみた。不毛な議論である。問題が不毛なのではなく、議論の設定が不毛なのだ。

 この種の議論は、平等主義と実力主義の対立という形に作られる。弱肉強食の世界を望む人も、安定停滞の社会を望む人もいないから、結論はいつも出ない。そういうのはしかし、空しいのではないかと僕は思う。もっというと、この問題では左翼の退廃が著しい。「フリーターは企業に搾取されていてウンヌン」「完全雇用が望ましく企業経営者の良心がカンヌン」やれやれだ。あの輝かしい科学的社会主義はどこへ行ってしまったのか。高度資本主義社会では、イデオロギーが全てを決定するとでも言うのか。

 たとえば、フリーターの増加について。「企業が正社員を雇わない」のではなく、「企業が正社員を雇えない」のだと考えてみてはどうか。

 「科学的」とか何とか言っておいてデータが何もないのは心苦しいかぎりなのだが、企業には(それがどんな大企業であっても)、必要な労働力を正規雇用でまかなうのが不可能になっているのではないかと思う。一部の幹部社員を除けば、高い人事コストがペイしない体質になっている、だから彼らは正社員を減らしてフリーターを雇用しようとする。だとすればそれは、良心の問題ではない。企業という生産制度が限界に直面しているという単純な科学的事実である。問題は、それをどう評価するかということだけだ。

 我々の社会が企業の存在を受け容れているのは、それが社会のメンバーを養うための効率的な手段だからだ。もちろん、企業の側には別な言い分があるだろうけど、社会全体の構想を考えると究極的にはそうなる。
 このとき、企業がフリーターなしではやっていけず、かつフリーターの生活や将来を支えるだけの賃金を支払えていない、とする。これは何を意味するか。答えは簡単。企業は我々の社会のニーズに応えられない、ということだ。そんなものは要らない。これが評価である。

 僕は、総フリーター化社会というのが答えなのだと思う。左翼はこれを主張すべきだ。フリーター化という言葉が嫌なのなら、個人単位化と言い換えてもいい。全ての生産が個人単位で行われる社会。ある人は企画を売り、ある人は技術を売り、ある人は生産施設(の利用時間)を売り、ある人は流通手段を売り、ある人は資本を売る。そしてその関係は常に流動的、そういう社会である。我々はそれが実現できるだけのテクノロジーを持ちつつあると思う。かつては