08/24/2007
久々の読書メモ
えー、おはようございます。タイマーです。本体は、今頃青春18きっぷで上京すべく、米原あたりを走行中のはず。なので、今朝は時事ネタ以外でお送りします。久々の読書メモ。
「感動! ブラジルサッカー」、藤原清美、講談社現代新書
図書館で見つけて、暇つぶしにひょいと借りてみた一冊。そうでなかったら、僕はとてもこれを読まなかったろうと思います。
というのは、著者の藤原さんにあまりいイメージがないからです。なんか、ブラジル代表に密着したり、へんに軽いコラムやジーコの本を書いたりしてる、ちょっと美人なレポーター上がりのミーハーサッカーの人。そいうのが、僕のイメージでした。
でも、この本を読んで、かなり考えが変わりました。もちろん、人物重視のレポであることに変わりはないのです。なので、サッカーの戦術の話とかはあまり(全然)出てきません。それでも、この人が色々な面に目配りのできる人であることは伝わってきました。たとえば、以下のような部分。
しかし、「サッカーだけが成功を夢見て挑戦できる唯一の方法」であることは、「成功への近道」とは決定的に違う。ブラジル中のほとんど全ての少年がサッカー選手になりたがっているといっても過言ではないが、成功をつかめるのは、ほんの一握りだ。才能の宝庫だといわれる国だからなおさら、競争は激しい。(p34)
あるいは、次の箇所。
貧しくて苦しかった時代を振り返り、「あのころの経験があるから、今の自分がある」と語る選手は多い。ならば、貧しくてよかったのか。貧しいほうが良かったのか。(p44)
こういう暗い面をフォローしているからこそ、紹介されるセレソンたちのエピソードが説得力を持って迫ってきます。ブラジル人に縁の深いチームのサポとして、色々考えさせられた一冊でした。
10:40 AM [football, 読書メモ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
09/19/2006
久々の読書メモ
久々に気が向いたので…。
いや、別に読んでなかったわけじゃねえからなw
『隠し部屋を査察して』、エリック・マコーマック、増田まもる訳、創元推理文庫
ホラーとか、ミステリとかそういう分類が空しくなる本。ストーリーの紹介もさして意味をなさない。なんていうかな、村上春樹の短編を、(透明感はそのままに)よりグロテスクなほうに振ったような感じ。柴田元幸が解説を書いている。以上のキーワードでピンと来た人は、読んだほうがいいと思う。
『地震の社会史―安政大地震と民衆』、北原糸子、講談社学術文庫
仮名垣魯文の鯰絵、「野宿 しばらくのそとね」(歌舞伎の「暫くのつらね」のパロディ)が見れるのが最高。MGみたいなことをやっている人は昔からいたんだなあ。
10:43 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
05/23/2006
『ビューティフル・ゲーム』
相変わらず試合がなくて週末は退屈…。なので、昨日は朝からブラインドサッカーに行き、夜はぴあトークバトルで青木と寺田の話を聞いてきました。あさ@逃避日記です。てことで、しばらく振りに本の話。
今回のは、ケン・ブレイ、近藤隆文訳、『ビューティフル・ゲーム』(NHK出版)。「世界レベルのサッカーを科学する」という副題からわかるように、サッカーサイエンスの本だ。
実は、この手の本は結構沢山あったりするのだが、本書は完成度の点でも、読みやすさの点でも、群を抜いている。ちょっと高めだが、持っていて損はない。
たとえば、第一章のフットボールの歴史の話のところ(歴史も、もちろんサイエンスなのだ)。モブ・フットボールからFAの設立、3人制オフサイド、WMシステム…という流れは(2章で50年代のハンガリーの4-2-4が出てくるところも含めて)誰でも書く。でも、この本のようにフットボール禁止令とか、WMシステムでのサイドディフェンスの仕方とかまで詳しく(そして読みやすく)書いている本は、他にはない。さすがイギリス人で、ものすごくリサーチが行き届いているのだ。
そしてもちろん、3章以降にはお待ちかねのサッカーの科学の話がある。変化するフリーキックの話(ボールはスピンをかけたほうに曲がるから、進行方向にスピンするボールを蹴れば沈む球が、逆にスピンさせれば滞空時間の長いボールが蹴れる)、キーパーのジャンプ力とPKの蹴り方(ゴールの隅に蹴ればGKは絶対に届かない)、1対1のときの最適なキーパーの動き方(FWがゴールとペナ角を結ぶ線より内側にいる場合は飛び出した方が良い。それより外の場合はステイ)、エネルギーの補給法、そして、ゲーム中と試合前の心理学・・・。
どれもがきちんとした科学的裏づけに基づいていて、しかも楽しく読める。中断中にちょっと勉強しておくには最適の本だ。ちなみに、僕が一番気に入っているのはPK戦のキック順についての分析。後になるほどプレッシャーが大きくなるので、得意じゃない奴から蹴らせるのが良いらしい。てことは、あのナビスコは…
12:05 AM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
01/24/2006
スラムオンライン
今年の一発目。諸般の事情で、あまり娯楽系の本を読んでなかった。
表紙はイマイチだし、ネタはとっつきが悪い。ストーリーはどちらかと言うと平凡だ。でも面白い。
僕は若いころ、5分ほどだが作家になろうかと本気で考えた。そのせいかどうか、未だに日本人が書いた小説をほめるのに抵抗がある。まして、若い奴ならなおさらだ。
こいつ、日本人。数歳年下。
面白い。薦める。説明はしない。ちょっと心が動くようだったら、読め。
というところで一度は終わろうと思ったのだけど、それじゃあんまりなので、少し。
桜坂の上手いところは、たとえばSEの使い方だ。いや、効果音の書き方ではなくてSEという言葉の使い方。以下の部分をみてもらいたい。
ビヤホールを出たあと、飲み足りないと主張する小数のメンバーと別れ、ぼくはJR新宿駅へと歩いた。新宿の街はさまざまな音で満ちていた。
人の群れがアスファルトを踏みしめるSE。
ネオン管の電流がはじけるSE。
出どころのわからない笑い声と叫び声と妙に明るいキャッチセールスの声が、渾然一体となってひとつのSEと化していた。(p61)
もちろん、これはごくありきたりな盛り場の描写にすぎない。だが、ここでの言葉の使い方が、後になって効いてくる。
実は、作中のかなりの部分はネットゲームの描写に使われる。これは難しいところで、あまりきちんと描写すると一般の(あまりゲームなどに馴染みのない)読者が引いてしまうし、かといって一般に迎合して専門用語を排除するとリアリティが失われる。だが、上のような部分があることによって、たとえば、
道をふさぐ赤茶色の円筒に軽く蹴りを入れた。
ごん、というSE。
どうやら、ドラム缶のようだった。
その他にも、鉄パイプやら灯油缶やら漬けもの石やらなんだかよくわからないものやら、ポリゴンを無駄遣いした物体がたくさん転がっている。(pp.80-81)
という描写が不自然に見えないのだ。こういうのを見ると、ああ、プロの技だなあと思う。そして安心するのだ。この人になら、自分の魂を1時間ばかり預けてもいい、と。
10:59 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
12/21/2005
最近の名言
「97年は優勝争いに絡んでの第2ステージ2位。あのまま指揮を執っていれば98年は必ず優勝し、勝利に飢えていたサポーターとともに喜びを分かち合えた。サポーターには、毎試合声を枯らして大声援を送ってくれたことに感謝しつつ、あれから7年もの長い間待たせてしまって申し訳ないと思っている」(ヨジップ・クゼ、サカダイ増刊号)
僕は、歴代監督の中では西野監督と同じ位か、それ以上にクゼ監督を高く買っているので、この発言には納得。ちなみに、良い監督のシルシは交代が理解可能なこと。見ていて、「うーん、あの選手の動きが悪いな」「あそこに変化がほしいな」と思ったときに、その通りの手を打ってくるのが優秀な監督である。玄人にしか分からないようなことをするのが優秀な人だと思いがちになるのだが、そうではない。
ロジックを整理し、それを表現できるチームを作り、ゲーム中も方針をブレさせないというのができて、初めて素人にも分かる交替ができるわけで、正直、それは並大抵のことではないのだ。その証拠に前ガンバにいて今シーズンも他チームの指揮を執っていた某監督なんか・・・ってこの話はいいか。
「勝者になるためには、ポジティブな考えが大切だということが分かった。ネガティブな思考は、何一つ生み出さない。僕は9年かかってしまったけど、その意味を理解できた」(シジクレイ、サカマガ12.27日号)
シジクレイのことは前にも書いたけど、やっぱり厳しい戦いを勝ち抜いてきた人なのだなあ、と。本当にいいキャプテンだったし、頼りになるセンターバックだった。心からありがとうと言いたい。
「しかし、サッカーで一番難しいのは点を取ることなんだ。…現在のサッカー界において、組み立ても守りもできるチームは多い。では、差をつけるものは何か。それは、決定力に他ならない。ビッグクラブとそうでないクラブの差は、概ねそこにある。マドリーは3回攻撃して2点入れることも可能だが、他のチームは5回攻撃しても1点も取れないほうが多い。それが違いだ」(ビセンテ・デル・ボスケ、sports Year ! 133)
最後のこれは、もちろん、アラウージョを思い浮かべて読んだ。レアルのことはまあともかくw、フィニッシャーの質は、やはり決定的な要素だと思う。その意味でアラウは素晴らしかったし、代わりの選手にはいくら金を積んでも惜しいことはない。マグノ獲れ!
12:43 AM [ガンバ大阪, 読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
12/15/2005
天皇機関説
「日本は万世一系の国であるから、どこかの外国のように徳のあるものが皇帝になったり、力のあるものが天下を取るというようなことはない、などという軽薄な人たちがいる。そのため、天皇の徳が不足であったとしても隣国から脅威を受けることはなく、政争があっても皇族以外のものが権力を握ることもない、これこそが天皇制国家の利点であり、他国に優るところであるというのだ。それゆえ、先代の余風をまずまず引継ぎ、最悪、国を失うようなことさえなければ、良い君主だといえる、別に特に優秀である必要はない、という。無知な連中は、これを聞いて賛成する」
この、皇室に対して不敬で、日本の伝統に無知であるように見える一文の主は誰か。
実は、後醍醐天皇の父親である花園天皇(在位1308-18)の「誡太子書」(当たり前だが上記は現代語訳)。もちろんこの節の後には、「そういうのに乗らずにお前頑張れ」という息子への説教が続くわけだが(そして息子のほうはやや過剰に頑張っちゃったわけだが)、昔にもちゃんとリアリストはいたんだあ、と思って。
ちなみに、原文は漢文。書き下し文は以下の通り。
「而して諂諛の愚人は以為へらく、吾が朝は皇胤一統、彼の外国の徳を以て鼎を遷し、勢に依りて鹿を逐ふと同じからず。故に徳微なりと雖も、隣國窺覦の危きことなく、政乱るると雖も、異姓簒奪の恐れなし。是れ其の宗廟社稷の助、余国のに卓躒たる者なり。然らば即ち纔に先代の余風を受け、大悪、国を失ふことなければ、即ち守文の良主是に於いて足るべし。何ぞ必ずしも徳の唐虞に逮はず、化の陸栗に(ひと)しからざるを恨みんやと。士女の無知、此の語を聞いて皆以て然りとなす」
山本眞功編註、『家訓集』、東洋文庫、p43
08:57 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
07/31/2005
『私はヒトラーの秘書だった』
今日、大阪公開の映画「ヒトラー 最後の12日間」の原作となった本。市立図書館でたまたま借りれた。19472−45年の間にヒトラーの秘書を務めた女性が戦後すぐ(1947年)に書いた手記が中心になっている。面白い。非常に面白い。
ただ、このジャンルでは言い古されたことだけれども、やはり充分な歴史学習とともに読まれるべき本だとも感じた。ナチスドイツの残虐非道ぶりをつねに念頭においておかないと間違えそうになる(この本はそのあたりにも配慮して構成されているけれども)。
それにしても、この本の体験で一番面白いのは、自分の中に起こってくる変化だろう。ドキュメンタリー(「ヒトラーをめぐる女性たち」だっけ?)とか、シュペーアの回想録とかで、あの政権の雰囲気については知っているつもりだったけど、「悪の凡庸さ」とか、「彼らは普通だった」というような言葉が、こんなに響いてくるとは思わなかった。自分が二回転も、三回転もする感じ。この話は映画を見てからちゃんと整理することにしたい。
ちなみに、あとがきをみると、ドイツではトラウデル・ユンゲのインタビューだけから構成されたドキュメンタリー映画が先に作成されたもよう。正直、そっちのほうが見たい。これをきっかけに日本でも公開されることを期待したい。
ついでなので参考文献。
大変評判の高いビーヴァーの本は未読。また読んだときに…。
09:15 AM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
06/19/2005
江戸もの
ついでなので、ここ数ヶ月で読んだ江戸時代ものの紹介(西鶴だけでもあれだし)。
『江戸と大阪』、幸田成友、冨山房百科文庫:
大正13年に東京商科大学で行われた講義をもとに書き起こされた本。1942年に発行された本が(1995年の復刻とはいえ)新刊で買えるという事実もすごいが、中身はもっとすごい。江戸時代の行政、経済の詳しい解説なのだ。江戸時代の社会の仕組みというのはなかなか分かりにくいのだが、幸田成友は幕臣(河内山なんかと同じ表坊主)の家の子孫だけに空気というものがよくわかっていて、史料も博覧強記、しかもそれを現代の我々にも理解できる言葉で語ってくれる。
色々とイマジネーションも膨らんでいく感じで、沢山の人に愛読されてきたという感じが伝わってくる。読んでいて、「あ、これはあの小説の元ネタ」「あ、これはあの歴史本の」という瞬間が幾度もあった。
『増補 幕末百話』、篠田鉱造、岩波文庫:
こちらは、明治半ばのころ、すでに古老になっていた江戸時代を知る人々にインタビューしたのを集めたもの。
内容もさることながら、素敵なのはその語り口で、江戸っ子っていうのはこういう喋り方をしたのか、と思わされる(その一例は下に引用)。この本も色々なもののネタになっているらしく、「お、これはあの短編の」というのにちょくちょく出会った。
「ソコへ大札がツカツカと入って、『奴、手前のために顔が潰ったぞ』と言うより早いか、かの鯵切り庖刀でグサと鈴木屋の横腹へ文部大臣を極込んじゃったんで、ワッというその場の騒ぎ、これを大くした日にゃア芝居に幕を打たねばならぬ。ソコに居合わせた権十郎(今の成田屋の十二、三歳の頃)の男衆で、大師亀というのが背後から忠臣蔵の本蔵を極める。突れた鈴木屋は茶屋がスグ芝居の前だから、抱いて二階へ連込み、血はズウと筋を引くという始末、大札は番所へ縛れたんです」(p54)
『幕末気分』、野口武彦、講談社文庫:
幕末シリーズ。こちらは最近の。野口さんの作ということで、当然捨てがたい味がある。史料も切り口も面白い。しかし、黒鉄ヒロシに表紙を書かせたのは失敗(あるいは黒鉄さんが絵を失敗)。不必要に軽い感じになっていると思う。版組みも何かがおかしい。
『絵で見る幕末日本』、エメェ・アンベール、茂森唯士訳、講談社学術文庫:
絵がきれい。観察眼も素晴らしい。ただ、フランス語原著のロシア語版を駐モスクワ日本大使館の職員が訳したという極道な展開のため、なんだかよく分からないことになっているところが時々ある。もっとも、目に見えてひどい所があるかというと、そうでもない。要するに最初から事情を分かって読む必要があるということだ。それに、絵の素晴らしさには疑問の余地がない。
11:44 AM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
好色一代男
最近、本当にサッカーのことしか書いていない。これはいけん。
というわけで、反省して読書メモ更新。しかし、紹介する本がこれでは、文化的にサッカーと大差ないような気もするが、まあいいか。
『好色一代男』、井原西鶴、横山重校訂、岩波文庫(しかし、アマゾンのライブリンクはUTFだと字化けしますな)。
去年からの江戸時代熱の続き。ちょいと別な流れもあって読んだのだが、要するに江戸時代のソフトポルノである。
面白いと思ったのは、遊郭の話とかも結構出てくるのだが、「行為そのもの」に関する描写は案外さらっとしていること。そこまでの盛り上げで勝負という感じで、このあたりは菊ジィとかwとは反対の方向性だけど、それなりに有効な手だと思った。行為そのものは、まあ、すごくドラマティックというわけではないですからねえ。
ちなみに、そのあたりの一節を抜き出すとこんな感じ。これは遊郭でのシーン(表記は文庫本と変えてある)。
暫しあって、高雄ぽか々々と来て。我より先へはねさせじと、世之介を引起し、平吉、かせ山に恋のじゃまなして呼びよせ、皆ふとんの上にあげて、謎懸けてとけしなく。是も面白からずと、平吉、かせ山を銘々の床にかへし、其後、帯をときて御寝なれと仰せられても、おそろしくて、とかず。申。それは私の志、無に成るという物じゃ。初めのほどはふとんも冷えて有しを、よしなき二人をあたためさせ候甲斐もなしと。様子よく帯とかせて、直付に肌をゆるして、又ちか々々にあう事も希なり、御心まかせにと。初めての床の仕懸。各別、世界に又あるまじき太夫也。 (p202)
10:50 AM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
05/19/2005
定刻発車
5月の新刊。「日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?」という副題が内容を良く表す。原著は2001年だし、文庫化は3月には決まっていたみたいなので狙ったわけではないと思うが、結果としてすごいタイミングになった。
「『君のところでは列車が遅れると社員を死刑にするのか?』。鉄道の国際会議があると、日本の鉄道人にはこんな驚きの言葉が投げかけられるという」(本文、p14)という書き出しのあたり、“うわあ”である。
で、内容はと言うと鉄道の話を現場、運用、社会、歴史の各方面から緻密に詰めた労作。筆者の三戸さんは経済や経営のライターらしいのだが、この仕事の精度はほとんど学術的と言っていいほどの緻密さだ。
本書のいうところによれば、日本の電車が定時運行するのは乗客がせっかちだからでも会社が杓子定規だからでもなく、大量の乗客を捌くために短い間隔で列車を走らせなければならないからだということだ。
列車が一本遅れると次々に後続の列車が送れ、そのつど駅に乗客が溜まるのである。たとえば新宿駅だと「列車が一分遅れて、二分間隔の列車が“三分間隔”になると、ホームの乗車位置に並んだ人の列が長くなる。三分遅れて“五分間隔”になると、なんとホームに人の列がなくなる。ホームが人でいっぱいで、列が識別できなくなる」(p119)のだそうだ。
ということは、この定時運行の問題は、会社が利益優先をやめるとか、客が数分の遅れを我慢するとか、そういう対策で解決するものではないようだ。鉄道インフラの能力(端的には線路の本数)に比べて、輸送量が大きすぎるのが根本で、かといって都市への人口集中をやめるわけにもいくまいから、当分は乗客の苦痛と関係者の苦労のトレードオフ関係は続きそうだ。
本書の最後の方では、情報化と自律化によるより柔軟な列車制御(乗客数や路線状況によって、列車ごとに運行経路や速度を最適化する)が紹介されているのだが、そういうのが実現するまでは、まだしばらくしんどい状況が続くみたいである。やれやれ。
06:45 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
05/03/2005
ヴァーリィ発見
今日、梅田のジュンク堂で。長いブランクから復帰してきた人らしいのだけど、すごい。量子力学に凝ってないイーガン、あるいはジェンダーやセックスに強いスターリング、みたいな感じ。
『スチールビーチ』は長編だが、なかなかいい。
ちなみに、途中で女性が主人公に変わるんですが、そこからあとの文体がどことなくあさりんさまに似てるような…。
11:36 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
02/28/2005
る、流刑ですか…
あさりんさまご紹介のにっけいしんぶん新聞で、前々からなんだかなあと思っていた渡辺淳一の連載小説、「愛の流刑地」の展開を確認。やっぱり、相当頭が痛い。
ていうか、これが「単なるソフトコアポルノ」として消費されている分にはそれでいいと思う。人生には時にポルノも必要だ。それに、女性蔑視もそれほどひどくはない(根本的なところに問題はあるけど)。たまには、こういうのを盗み見るくらいのこともあっていいのではないかと思う。
問題は、(タイトルと過去の実績が暗示する)「開花する女体とそれに翻弄される男」「むせ返るほどのセックス。破滅にも似た人生の華美な横溢」みたいな、「近松心中物語」+「チベット式セックス・天上の悦楽」的世界観のほうだ(*)。
(*タイトルはでっち上げです)。
というか、「セックスってそんなにイイのか?」と思うわけです。そういうことを書く人って結構いるけど、本気でそんなこと信じてるのかと。
もちろん、あれは(上手くいったときは)かなり気持ち良い。それは否定しない。好きな人と一緒に楽しめるうえに肉体的にも快感があるから、娯楽としてもかなりお得感がある。それもその通りだ。人間関係に性欲がからむことは、生活に興味深い撹乱要素をもたらす。それもそうだ。
だけど、快楽という観点からいうと、あれが人類最大のものだとは僕にはとても思えない。
例えばの話だけれども、今あかねといて「これから2時間やる。2人でセックスをするか、ワールドカップの決勝を見に行くか、どちらかを選べ」といわれたら、僕はサッカーのほうを選ぶと思う。緊迫感のあるサッカーの試合には、実際に快楽をもたらしてくれる。ましてワールドカップの決勝だ。絶対に気持ちいいと思う。
あるいは、ロックフェスティバルとか、舞台とか、スキーとか、博物館とか、やきもの美術館であかねの講釈を聞くとか、楽しそうなことはいっぱいある。
もちろん、ものには限度というものがあるから、毎晩毎晩スキーでは辛い。やきもの美術館も数に限りがあるし、ワールドカップも毎週あったらマンネリだ(その点、セックスには比較的飽きにくいという素晴らしい利点がある)。
だから、セックスの快楽を否定するわけではないのだけど、そればっかりっていうのはどうなんだろう。ソフトポルノを正当化する以上の何かが、本当にそこにはあるのだろうか(いうまでもないことだけど、セックスを描くなと言っているのではない。セックスシーンを効果的に使っている小説はいくらもある。セックス一色でも、ポルノ以外の価値がある小説もある。だけど、そういう小説は安易な性愛至上主義を掲げたりはしない)。
あるいは、これは世代の違いなのだろうか。僕には実感としてわからないのだけど、ある一定の時期以前に生まれた人はセックスに関してとても抑圧されていて、そのために凄い快楽を得られるようになっているのかもしれない。あるいは(逆に)他の楽しみをよくご存じないのか・・・。
いずれにしても、女の子とはセックス以外にできることが沢山あると僕は思う。セックスだけが男女関係ではないし、それが上手くいけば全てが丸く収まる訳でもない(まずくいくより遥かにいいことは確かだけど)。
願わくば、日経新聞の読者であるところの一流財界人のみなさんも、そう思っておられんことを。
02:12 PM [日記・コラム・つぶやき, 読書メモ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
02/06/2005
『アルカイダ:ビンラディンと国際テロ・ネットワーク』
図書館で借りた本。
ネタとしてはやや古いのだが、切り口が素晴らしい。筆者は中東・パキスタン・アフガニスタンでの豊富な取材経験に基づいて、イスラム過激派の起源からアルカイダの成長、そしてザルカウィの台頭に至るまで、非常に詳しく、かつ理知的に解説する。
この本では、アルカイダを「現象」だと定義する。「アルカイダ」には、三つの側面があるというのだ。つまり、ビンラディンを中心とする10数人の「中核グループ」、各地域のテロネットワークが曖昧な形でつながる資金網である「ネットワークのネットワーク」、そしてしばしばテレビなどを通じて提示されるある種のイデオロギー。
筆者はいう。
今日世界が直面している脅威は、忠実な幹部に囲まれた軍団を擁する一人のテロ指導者より、もっとはるかに危険だということである。今日われわれが直面する脅威とは、新しくてそれぞれ異なり、複雑で多様、ダイナミックで変幻自在、その特徴を定義するのは実に難しい。当面、アルカイダの内容をきちんと表現できる単語は存在しない。このことからさまざまな問題が生じる。「アルカイダ」は、もっと良い言葉がないために不用意に使われている、大ざっぱで粗っぽい用語である。(p29)私はアルカイダが存在していないと言おうとしているのではない。ただビンラディンのグループをアルカイダと呼ぶと、少し違うことになると言いたいのだ。このグループを、至る所に触手をのばし、明確なイデオロギーと要員を抱え、1980年代末に登場した、網目の詰まった緊密な組織と表現すれば、事の本質を誤解させるだけでなく、当時と今日のイスラム急進主義の本質を誤解させることになる。また、きわめて複雑な歴史的トレンドから発生した、幅が広く定義のしにくいこの運動が抱えている、偶発的で、ダイナミックで、地方性のあるさまざまな要素を見失うことになる(p39)
これを書いている筆者は、「オブザーバー」のチーフ・レポーター。さすがイギリスの新聞、といったところ。後半に出てくる、戦前・戦中・戦後のアフガニスタンのレポートもすごく適切で(これを呼んで初めて、僕はタリバンとビンラディンの関係が正確にわかった)、単純化することも思考停止に陥ることもなく、複雑な世界に正面から取り組んでいこうという姿勢が見える。
何でもかんでも「アルカイダ幹部」にしてしまう日本の新聞とは、かなり違う。読む価値のある本だ。
『アルカイダ』、ジェイソン・バーク、酒井定雄・伊藤力司訳、講談社
余談だけど、この本を電車の中で読むのはなかなか面白い体験だった。まわり中から視線がささってきて。まあ、この表紙じゃ無理もないという気はするけど。
11:34 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
01/24/2005
西部謙司『Game of People:アジアカップ&ユーロ2004超観戦記』
久々に大阪へ。図書館と書店を回って、いい本に何冊も出会った。その一冊。
『Game of People:アジアカップ&ユーロ2000超観戦記』西部謙司、双葉社(1600+)
手錬のサッカー記者、西部さんの最新刊。サッカーマガジンでの連載がなんだか「辞典」になってしまって困惑していたのだが、ここでは彼の名調子が読める。
今回は、去年行われた二つの国際大会のレポートが中心だ。書店で見かけたとき、終わってしまった大会のことなんて・・・と一瞬思ったのだが、これが意外に(失礼!)面白い。今、日本代表を書かせたらこの人の右に出るものはいないかもしれない。
さて、本書は前半のアジアカップパートだけでも完成した作品として読める。ここの出来が素晴らしい(後半も悪くないが、ページの半分がカタカナというのはちょっと辛い)。
練習と試合を一つの流れで見て、ジーコの長所と短所を指摘し、中国の観衆のブーイングを「観戦に不慣れなだけ」と冷静に観察する。ところどころに「う」で始まる人ではないかと思われる悲嘆慷慨派の記者が出てきて、軽くいなされているのも楽しい。
そして、あのPK戦のシーンで泣かせる。引用は宮本が申し出てサイドを変えさせ、さらに三都主がもう一度蹴ろうとしてスタジアムが騒然となるシーン。
三都主もそれほど期待していたわけではないだろう。ただ、主張すべきことは主張しておいた。宮本がそうしたように。往生際が悪いといえば、確かにその通りである。見苦しいと言えば、見苦しかったかもしれない。だが、それは見ていて鳥肌が立つほどの見事な往生際の悪さだった。完全にダメとわかるまで諦めない。負けるまで負けを承知しない。
「息をしているかぎり、このチームは何かをやってくれる」
息が止まるまでは生きてやる。死ぬまでは生きてやる。
PK戦は運だ。もちろんキッカーとGKの駆け引きがあり、技術もある。精神力もある。だがしかし、PK戦は圧倒的に運の領域である。勝つか負けるかは運次第なのだ。どちらに転ぶかなど、誰にもわかりはしない。どんなに頑張ろうが、ゾンビのような不死身の精神力を見せつけようが、それが結果を保証するものではない。運の前では人は無力である。
その期に及んで、この往生際の悪さは何だ。ただ、姿勢の問題である。覚悟のありようである。単なる悪あがきではない。日本代表チームは、死の瞬間まで、生ある最後の瞬間まで、ただ前のめりに生きることに決めたのだ。(p78)
このときの宮本とアレックスの「いさぎ悪さ」については、日本でも批判があったように記憶している。僕はいいと思ったのだけど、それをこれだけ見事に表現している文章は初めてみた。
ちなみに、西部さんは返す刀で、「イラン×日本戦」の最後の3分間、ドローにするための「取引」を批判している。同意するかどうはともかくとして、一貫しているのもいい。
07:25 PM [football, スポーツ, 読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
01/13/2005
「この町の誰かが」
「この町の誰かが」、ヒラリー・ウォー、法村里絵訳、創元推理文庫(720+)
今の状況にとてもマッチしている本。殺人事件がきっかけで、いろいろなことが起こる。解説の若竹七海さんが、「<アメリカの悲劇>はいまや<日本の悲劇>でもある」と書いているのだけど、その通りだと思う。
ちなみに、リンク先にあるかもしれない書評には、僕は賛成しない。極上のケーキを食べた後で、「おいしいお菓子を作りたかったのなら満点だけど、ディナーとしては不満が残るな。甘すぎるし。星ひとつ減らさせてもらうよ」と言ってるようなものだ。この文章、読みにくいかなあ。
01:17 AM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
01/10/2005
「るきさん」「黄色い本」
高野文子2冊。去年の12月アタマくらいに読んだ。
バブルのころに『HANAKO』に連載されていたショートストーリー(見開き1ページ分)集。“平成のサザエさん”という感じ(風景も世田谷線っぽい)。主人公が20代後半(たぶん)の独身女性というあたりがいかにも平成風。フリーで生計を立てているという設定、唐突な海外脱出という終わらせ方にも、この死語が良く似合う。
で、僕はというとこれがかなり好き。軽く10回は読んでいるはずだが、まだ全然飽きない。あのころ「今が一番いい時代なんだろうな」と思った覚えがあるが、まさにそうだったという感じがする。今じゃるきさん、負け犬呼ばわりですよ。
『黄色い本―ジャック・チボーという名の友人』、高野文子、講談社
非常に評価の高い表題作もいいのだが、ぼくはむしろ「マヨネーズ」「二の二の六」の不思議な味を愛したい。バブルがちゃんと清算されているうえに、“主人公を美人に描かない”という方針に磨きがかかっている感じがする。
ちなみに、『るきさん』には文庫版があることを今回発見。女王どうよ?
さらにもうひとつ。連載当時から「黄色い本」に付き合っていた編集者のエッセイを発見。製作には3年かかっているらしい。3年…。
08:04 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
01/03/2005
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ2冊
まだ去年の分が処理できていない読書メモ。
『ダークホルムの闇の君』ダイアナ・ウィン・ジョンズ、浅羽英子訳、創元推理文庫(980+)
『グリフィンの年』ダイアナ・ウィン・ジョンズ、浅羽英子訳、創元推理文庫(800+)
連作もの。『グリフィン…」のほうが第2弾なのだけど、そっちを先に買ってしまった。勢いということで、第一作も読む。
ひとことで言うと、「メタ・ファンタジー」。かなりちゃんとしたファンタジーのうえに、ウィン・ジョーンズ的な家族トラウマ小説の要素がかぶせてある。といってドロドロというわけではないから楽しく読める。ただ、そのせいでファンタジーのパロディのような感じがするのも事実で、このあたりは好みが分かれるところだろう。
僕としては、じっくり何回か読んでいるうちに合点が行くところもあって、結構楽しめた。サクっと読みたい人には「グリフィン…」のほうがオススメかもしれない。前作を知らなくても、全然問題はない。
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12/28/2004
「安政江戸地震」
年末なので、たまりにたまっている読書メモを順次。今日はこれ。読んだのは少し前だけど、地震の直後なので。
『安政江戸地震:災害と政治権力』、野口武彦、ちくま学芸文庫(900+)
前に読んだ『幕府歩兵隊』がとても面白かった野口さんの本。
今回は、幕末直前の安政2年(1855年。明治維新の13年前)に江戸を襲った「阪神」クラスの直下型大地震の記録と、それが徳川幕府の崩壊に及ぼした影響を扱った本だ。
と書くと、なんだかオカルトめいてしまうけど、野口さんはプロの歴史家らしくきちんと書いていて、おかしなところはない。天変と政変の関係について、野口さんはこんなふうに書く。
地殻変動と政治変動との間に何かアプリオリな呼応の関係、ないしは冥々の暗合を見出すのは、オカルティズムである。しかしまた、物性と人性の双方とりまぜた世界媒体を通底して伝わってくる波動−音波以前の震動波からまず深い低音部で響き、やがてしだいに可聴域に入って社会的輪郭を現してゆく周波変動を聞きとらないのはアパシイである。耳はばかにできない。幕末どんづまりの十二年間は、そうした地鳴りのクレッシェンドである。何よりの特色は、災害要因がしだいに天災性なのか人災性なのかどちらとも分かちがたくなる経過にある。(p230)
早い話が、一七〇三年の元禄地震では幕府はびくともしなかったが、一八五五年の安政地震ではがたがたになった。政治情勢、経済動向、社会状況の深甚な差異が進行していたからである。巨大災害は、一国の政治経済、社会生活、世相風俗に潜在していた諸内因をいっきょに合併症状化する。(p12)
当時の体制が抱えていた矛盾や問題が、地震をさかいに一挙に顕在化した。それが幕末につながっていく。野口さんの言っているのはそういうことだ。この、構造性と事件性を融合させる手腕(ポストモダン的な手腕!)は見事である。
僕がこの本から得たものは二つある(本当はもっとあるのだけどとりあえず二つに絞る)。
一つは、幕末騒乱のエネルギーの形を実感できたことだ。野口が指摘するように、幕末の江戸は地震を皮切りに、台風や疫病に続けざまに見舞われ、内戦と外戦の出費(薩英戦争と下関砲撃の賠償)によるインフレに悩まされ続けていた。おまけに、農村部の出生率上昇のせいで人口増加がやまないから、騒乱の規模は一向に縮小しない。
首都がこれだけ混乱しつづけていれば、政情が不穏にならないほうがむしろ不思議である。そこに社会経済構造の変動があれば(あったのだが)、事態は一気に進行する。明治維新は一種の集合行動だと考えていいかもしれない。
本書は、慶応三年の政変と「打壊し」「ええじゃないか」の並行進行を次のようにいう。
それは一国あげて総ハレ状態になった民族の祭典であった。打壊しのために振り上げられていた手が卑猥な踊りの手振りになった。幕府瓦解という政治革命さえ、その一つのイベントであるような天地が開けた。(中略)踊る人々は明らかに別世界を見ていたのだ。
もうひとつ、本書が指摘するのはこの地震前後の様子と今との暗合だ。社会や経済の問題と地震の周期性。今度大きな地震が来たとき、それに続く混乱をこの社会は支えられるのかと筆者はいう。
細かなことは色々ある。でも、僕は次のような指摘で充分だ。日本の政治家は、すでに公共的存在としての能力も、意思も失っていると思う。
追記。この『文庫版あとがき』が校正にまわっているさなか、十月二十三日にM六・六の新潟県中越地震が発生した。
(中略)政治家の反応は相変わらずだ。小泉首相が視察したのは十月二十六日。発生当日から数えて四日目である。神戸の地震の時、さんざん不評判だった村山首相でさえ現地入りは三日目だった。速ければ速いほどいいというものではない。しかし災害時には、まず首長が《態度で示す》のが重要なのだ。災害の公共性に鋭敏に対応して見せないことが鈍感さの現われである。(p281)
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11/25/2004
岡部いさくと高野文子
ここしばらくの間に買った本。
「世界の駄っ作機、番外編:蛇の目の花園」、岡部いさく、大日本絵画(2500+)
航空マニアの、航空マニアによる、航空マニアのためのシリーズ、4作目。
飛行機と、雑誌をこよなく愛する僕が、これを買わないわけはない。今回は英国機のみ(一機だけ例外あり)が対象となっていて、中には駄作じゃないのも入っている。4作も出ているうちにちょっとメジャーになって、オタク色は薄れてきた感じもある(アマゾンの書評でわかるように、マニアのなかには眉をひそめる人も出てきた)。
でも僕はかなり好き。データの信憑性とか評価の妥当性とか、そんなことはどうでもいい。好きでたまらないことを、わざと軽く語る感じが好きなのだ。
一部思想業界でつとに有名な、高野文子の名作短編集。読んでみると、うわさにたがわぬ名作である。印象を言うと、「小津安二郎みたいな感じ」(変?)。
名高い「奥村さんのお茄子」も面白かったが(通時的連続と共時的連続の関係については考え中)、SF&ファンタジーマニアとしては、「東京コロボックル」がなんとも堪えられなかった。
いぬいとみこや佐藤さとるの作品で有名な、アイヌ伝承の小人さんたち(でも本当はイギリスの小説が原型であることは内緒だ)が、1990年代の東京は落合の2DKマンションの片隅に住んでいるという話である。家がテレビの中にあったり、ベランダの洗濯機でアウトドアレジャーしてたりするあたりがもう最高。これ一作のために買っても損はないと思った。
01:07 AM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
11/18/2004
「ちがった空」、ライアル
「ちがった空」、ギャビン・ライアル、松谷健二訳、ハヤカワ文庫
葵さんのこの記事を見ていて、ライアルのことを思い出した。本棚の奥から、読んだ回数が一番少ないのを出してくる。
この本を読むのは多分17、8年ぶり。前に読んだときは何だか込み入った話だなと思ったのだが、今読むとすっきりしている。ライアル特有のウンチクも少ない感じだ。あの頃は頭が悪かったのかもしれない。
ストーリーはというと、過去があってクールだが優しい主人公がアル中の相棒と財宝を巡って冒険、というもので、ライアル要素満載な感じ。美人でゴージャスな大富豪の秘書と、活発で利発的なアメリカ人女性も抜かりなく登場する。
考えてみると、ライアルの描く女性は、上に挙げた要素のどれかを必ず備えているような気がする。リッチでゴージャスのほうを強調していくと「深夜プラス1」のヘレン・ジャーマンや「もっとも危険なゲーム」のアリス・ビークマンになるし、利発的を極めていくとマクシム少佐シリーズのアグネス・アルガー、「本番台本」のJ・B・ペンローズになるわけだ。
そういえば、男性のほうもライアル要素がありそうだ。たとえば、アルコールに取り付かれた相棒は、本作のケン・キトソンをはじめとして、かの有名なハーヴェイ・ロベル、「マクシム少佐」のジョージ・ハービンガー、「裏切りの国」のケン・キャビットとたくさんいる。事件の背景に「死の影を漂わせた上流階級の男性」が出てくる、というもの結構共通しているような気もするな。
結局、人物の類型をいくつか用意しておいて、その組み合わせと背景による変化を楽しんでいるのかもしれない。もっとも、それで結果が面白いのだから、文句はないわけだが。
ところで、本作で唯一引っかかっているのは、「アメリカ人は自由にやめられない」という意味の台詞。これを言うためだけに出ているキャラがいるので重要なことなのだと思うのだが、何なのかさっぱり分からない。うう、気になる。
【ちなみに、葵様】 AFとは(自動焦点、または成人向け小説の意味ではなく)「冒険小説」の略語として使われていたらしいでございます。
09:07 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
11/15/2004
シェルパからの発信
「テンジン――エベレスト登頂とシェルパ英雄伝」、タシ・テンジン、ジュディ・テンジン、丸田浩、広川弓子訳、晶文社(2100+)
ジュンク堂難波店で衝動買い。著者はオーストラリア在住のテンジンの孫とその妻だ。
内容は、エベレスト初登頂者のテンジン・ノルゲイの評伝と著名なシェルパの列伝が半分づつ、という感じ。
すごい名作、ではない。書いてある話も登山史マニアなら大体知っているようなことだ。ただ、(西欧で教育を受けたとはいえ)シェルパが書いたという点がかなり貴重だと思った。
「向こう側」から物事が見れるのが嬉しい。
ついでだがもう一つ難点。この本、翻訳がちょっと怪しい。特に人名、地名あたり。訳者はオーストラリア在住のお医者さんということで、多分、そっちの発音を採用しているのだと思うんだけど、「ナンガ・パーパ」があの有名な「ナンガ・パルパット」と同じ山であることを確信するには、ちょと色々資料をあたって見なければならなかった。
09:10 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
11/14/2004
戦争はトラウマ化する
改めてバックナンバーを読むと、ずいぶん戦争のことを書いているな、と思う。まったく殺伐としている。
言い訳をするわけではないけど、僕は決して戦争愛好者としてこれらを書いているわけではない。僕が戦争のことを考えているのは、「国家の安全や利益のためには戦争もやむをえない」という思想に反論するためだ。「人の命は尊い」だけでは乗り切っていけない場合もある。いや、実際には「人の命」以外のことを言うことは難しいのだが、説得力を持たせるためにはバリエーションが必要なのだ。
というわけで、今週はこの本を読んだ。ちょっと新聞とかにも取り上げられたし。
「戦争における『人殺し』の心理学」、デーヴ・グロスマン、安原和見訳、ちくま学芸文庫(1500+)
実戦を経験した兵士に何が起こるのか、その原因から結果までを心理学的に解明した本。著者は元軍人の心理学者だが顕著なバイアスはなく、しっかりした研究になっている。良くも悪くもアメリカ的な学術書の特徴(説明がわかりやすい&重複が多い)を持った本だ。
本書の主張の眼目は、何といっても「戦闘経験はトラウマになる」ということだろう。
人間は殺人を嫌う。これは結構見逃されてきた論点だが事実であり、戦場の兵士も例外ではない。ふつう、実際に敵兵を狙って発砲する兵士は15-20%とどまる(後の兵士は敵を威嚇しようと空に向かって発砲したり、より危険だが銃を撃たなくて済む任務を遂行したりしている)。
自分が殺されそうになっても、この比率は大して変わらない。特別な訓練をすればこの率を上げられるが、そうなると今度は兵士がトラウマを抱え込む。
なぜそうなるのか、グロスマンは分かりやすく、説得力のある心理学的な議論を展開している。
要約して言えば、人間は友好的な環境を快適だと感じる、ということである。人は他者と敵対することを嫌い、攻撃されることを嫌い、攻撃することを嫌う。これは不変の心理学的傾向である。少し原文を引用しよう。
敵意ある攻撃に直面したことのない人はいないだろう。子供のころの遊び場で、見知らぬ他人の無礼という形で、知人による陰口や意地悪な言葉という形で、そして職場の同僚や上司の敵意として。こんな状況に出くわすと、人はみな敵意を覚え、それが引き起こすストレスを経験する。だが、たいていの人はなんとかして表立った対立を避けようとする。(中略)昇進や昇給のことで上司に講義するだけでも、たいていの人にとってはストレスに満ちた体験であり、平常心ではとてもできないことだ。それどころか、逆立ちしてもそんなことはできないという人も多い。ガキ大将に立ち向かったり、意地悪な知人をと喧嘩したりすることを、なんとしてでも避けようとする人がほとんどなのである。(中略)
人間は、好かれたい、愛されたい、自信をもって生きてゆきたいと切望している。意図的で明白な他者の敵意と攻撃は、ほかのなによりも人間の自己イメージを傷つけ、自信を損ない、世界は意味のある理解できる場所だという安心感をぐらつかせ、しまいには精神的・身体的な健康さえ損なうのである。(中略)
ふつうの市民は、積極的な攻撃行動を起こすことに抵抗を感じ、他者の理不尽な攻撃や憎悪に直面するのを恐れる。戦闘中の兵士も同じである。戦場では積極的な攻撃行動に出なければならないが、それを強いる大きな圧力に抵抗を感じ、敵という名の理不尽な攻撃と敵意に直面するのを恐れているのだ。(p147-9)
殺す側も、殺される側と(同じ程度ではないにせよ)恐がっているというこの指摘は、とても重要なものだと僕は思う。復員兵から反戦主義者が出てくるのは不思議ではない。
だた、こういう兵士を抱えていては効率の良い戦争はできないから、近代国家はこの状態を容認しない。多くの軍隊は、自覚的・無自覚的に対策を取っていると。主な対策は条件付けだ。
実物大の人形や、人間の映像を貼り付けた標的を撃たせる訓練をすると発砲は反射行動になり、戦場でも抵抗感は全くなくなるという(この方式で米軍は実戦での有効発砲率を100%に近づけることに成功した。ちなみに、交戦相手の軍隊・武装勢力の発砲率は依然として2割程度)。先進国の軍隊がやっていることについて、グロスマンのまとめを見よう。
新兵は心理学的に順応性の高い年齢で募集される。敵との間に心理的な距離を吹き込まれ、敵を憎み非人格化することを教え込まれる。権威者への畏怖と、集団の免責と圧力を学ぶ。だがこの時点ではまだ抵抗感があり、そう簡単に人は殺せない。空に向かって発砲し、非暴力的な仕事を見つけてそちらに没頭する。というわけで、このうえにまだ条件づけが必要なのだ。条件づけは驚くほどの効果を発揮するが、それには心理的な代償がともなう。(p492)この代償とはもちろん、兵士がトラウマを背負うことである。反射的に撃たせることはできても、戦闘のストレスを除去することはできないからだ。兵士は自責の念に駆られ、何年もかかってそれを合理化しなくてはならない(できない場合は、PTSDの症状を示したり、社会生活に適合できなかったりする。ベトナム帰還兵の場合がそうだ)。
つくづく、戦争ってのは厄介なんだなあ、と思う。兵士の訓練もそうだし、事後のケアもそうだ。しかも、死亡ないし重症、そして民間人の被害についてはまだ全く考えていない。
やっぱり、いかなる個人的・集団的な利益も、何千人・何万人・何十万人もの人をこんな目にあわせることに引き合うことはないように思える。
戦争を肯定したり、決断したりする人々は、そこまで考えているのだろうか。
03:47 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
11/09/2004
戦争文献案内:砂様あて私信
戦争を社会学的に捉えた本、というリクエストですが、これは結構難しいですね。
まず学術的な本が少ないですし、そういう装いの本だって(肯定否定を問わず)感情論に流れがちです。比較的冷静な研究書の多くは、戦争よりも「戦闘」を取り扱っていて、今回の基準に合いませんし。
というわけで、以下はきわめて不完全なリストです。とりあえず、僕が知っている程度のものだけ(なお、リンク先はアマゾンです)。
まず、近代戦争についての概観を提供してくれるもの。
「徴兵制」、大江志乃夫、岩波新書
とりわけ第1章と第5章がいいと思います。マキャベリから核戦争まで、主要な戦争とその理論を満遍なくフォローしています(もちろん、これは社会学ではなくて社会史ですが)。ただ、出版が古いので、書店では無理だと思います。アマゾンでも古本になるようです。
次善の策として下の本。最初のほうに似たような内容が書いてあったと思います。
「戦争の日本近現代史」、加藤陽子、.講談社現代新書
それから、僕はあまり高く評価していませんが、社会史の本をもう一つ。
「機関銃の社会史」、ジョン・エリス、越智道雄訳、平凡社
第一次世界大戦前後の話ですが、戦争というよりは機械化をテーマにしているような気がします。
続いて、戦争を起源から捉えているものを。
「戦争の起源:石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史」
こちらは、アメリカの学者の手になる本で、まじめな研究書です(そのわりにマケドニアマニアなんですが)。第一章で、考古学資料を使って戦争の起源を考察しています。
「ヒトはなぜヒトを食べたか」、マーヴィン・ハリス、鈴木洋一訳、ハヤカワ文庫
こちらは人類学者の作。殺戮行為一般を扱っていて、「戦争の起源」という章があります。きわめてマクロ的な視点からの研究ですが、質の高いものだと思います。
以上、あまり社会学的ではありません。仕方がないので、最後にとっておきのをひとつ。
「誰にも書けなかった戦争の現実」、ポール・ファッセル、宮崎尊訳、草思社
書いた人は従軍経験のある文学の研究者で、戦争を極めてミクロ的に捉えています。
徴兵された兵士の経験、軍隊の隠語、戦闘を経験すると・負傷すると人間はどうなるか、戦中文学の様相、敵のイメージ…。つまり、当事者にとっての「戦争の意味」を探究したもので、ほとんどシカゴ学派的な研究だとも申せましょう。
こういう方向を求めておられるのかどうかは分からないのですが、僕としてはもっとも強く推奨したい本です(ちなみに、前に読んだときの感想です)。
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11/07/2004
忘れられていた読書メモ
バックナンバーをチェックしていて、ところどころ記載漏れがあることが判明。忙しかったのもあると思うのだが、重要なものを結構おとしている。やれやれ。ということで補完。
「『正しい戦争』は本当にあるのか」、藤原帰一、ロッキング・オン(1600+)
「ニュース23」なんかでおなじみの国際政治学者、藤原さんに渋谷陽一さんがインタビューしたもの。国際政治が、わかりやすく、かつ絶望感なく(ここが重要)、わかる良書である。「一言いっておきたいんですけど、平和って、理想とかなんとかじゃないんです」(p66)という一節が僕には忘れがたい。
ちなみに、このありきたりに聞こえる表現は、「平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない。暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ。そして、そんな思い上がった過信じゃなく、汚い取引きや談合を繰り返すことで保たれるのが平和」と続く。なるほど。
徳川慶喜の史伝。幕末ものは嫌になるほど多いのだが、きちんとした社会科学的分析になっているものはあまりない。そういう意味でこれは稀有な名著。当時の政治状況がよくわかり、しかも楽しく読める。こういうのは史料が読め、分析ができて、その上何かを持っている人にしか書けないのだが、著者はそういう人だ。
ちなみに、この本とは羽田空港の書店で出会ったのだが、飛行機の中から家までずっと読んでいて、ずっと幸せな気分だった。そういう本って、なかなかない。
「鎮魂歌」、グレアム・ジョイス、朝倉久志訳、ハヤカワ文庫(840+)
英国幻想文学賞を受賞しているが、基本的にはリアリズムの小説。妻を亡くした(まだ若い)教師が、エルサレムを訪れていろいろと不思議な目にあうという話である。
ストーリーは、恋愛と、昨今流行の聖書考古学と、これまた昨今流行のトラウマ療法の話をブレンドしたような感じ。語り口が上手くて、とても気持ちよく読める。読後感もいい。
「10 1/2章で書かれた世界の歴史」、ジュリアン・バーンズ、丹治愛・丹治敏衛訳、白水社uブックス(1300+)
高橋源一郎の「文学王」で紹介されていた本。正直、ちょっとしんどい。そのわりに到達点はありきたりだ。でも、そこそこ面白い。
ちなみに、僕が一番ウケたのは死んで天国に行った男の話の一節。天国では何でも願いがかなうので、サポートしているレスターシティ(!)がなんとFAカップを取ってしまう。信じられない。
「誤解しないでほしい、僕はひいきのチームをけなしているんじゃない。あれはいいチームだし、ときにはすごくいいチームになる。しかし大きな試合になると勝てる気は全くしないんだ。数え切れないほど何回も二部のチャンピオンになった。それはそのとおりだが、一部では勝ったためしがない。二位が一度、そう、それは確かだ。しかしカップについては・・・」(p360)ああ、僕も死んだらガンバがリーグを制するところに行くのだろうか。
06:18 PM [読書メモ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
10/21/2004
ここ一週間の読書メモ
移動時間が長くなると、どうも色々と買うよな、という感じ。一応時系列順に。
「旅と道具:豊かな旅を創るハードとソフト」、佐貫亦男、朝日新聞社(760+)
佐貫さんシリーズ。飛行機ものにはちょっと疲れている感じなんだけど、これは楽しく読めた。「旅は人生のシミュレーションだ」という言葉は、なんとも含蓄がある。
「世界最悪の旅:スコット南極探検隊」チェリー・カラード、加納一郎訳、中公文庫(838+)
スコット探検隊は20世紀初頭に組織されたイギリスの探検隊。初の南極点到達を目指したのだが、わずかの差でノルウェーのアムンゼン隊に敗れた。この本はその生存者がまとめた記録で、とにかく寒そう。何しろ「今日は暖かくて寝袋が凍らない。寒暖計をみるとたったの零下30度だ」なんて言っているのだ。読後もしばらく震えが来るような気がした。あと、この本は訳がとってもよろしくない。文章は良いのだが、どうも全訳ではない。話が飛び飛びになって流れがよくわからない。訳者は昔の探検マニアらしく、玄人に興味がないところは飛ばしちゃったらしい。やれやれ。
「直線」、デッィク・フランシス、菊池光訳、ハヤカワ文庫(800+)
“はたらくおじさん”(←今は、“ひとたち”って言っているらしい。懐かしい)大人版というか、イギリス業界案内、みたいになっている「競馬シリーズ」の一冊。時々、中毒のように買ってしまう。今回は宝石業界のお話。もちろん、主人公は男らしく、最後には全てがうまくいく。しかし、不倫は情熱で盗みは遺伝的欠陥、というのはキミの嫌いな二重基準ではないのかね?ミスタ・デリック。
「メグレ罠を張る」、ジョルジュ・シムノン、峯岸久訳、ハヤカワ文庫(520+)
一度は読んでみたいと思うのになかなか売っていない、「メグレ」シリーズ。これで念願がかなった。とはいえ、ハヤカワ出ているのはこれ一冊らしい。中身はフランスらしい、というよりは50年代的な推理ものらしい佳作。つくりがしっかりしていて、変にひねたところがない。これならまた読んでもいいのだが、見つからないんだよなあ...
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10/10/2004
ここしばらくの読書メモ
このところ、仕事が立て込んでたり、アーサー・ランサム熱が再燃したりで、仕事以外ではあまり新しい本を買ってない。とりあえず以下2冊。
「監督力:サッカー・名将の条件」、西部謙司、出版芸術社(1400+)
いわずと知れた西部さんの新刊。どこかで見たような話も混ざっているけど、やはり面白い。この人の最大の長所はやはりゲーム分析が的確なこと。テクニカルなことをきちんと盛り込みつつ、複雑なゲームの本質を易しく語る力がある。

「清朝の王女に生まれて:日中のはざまで」、愛新覚羅顕埼(←本当は王へん)、中公文庫(686+)
著者は西大后の孫で、川島芳子の同腹の妹という人。要するに自伝である。圧巻は文革がらみで逮捕され、20年近くにもわたって投獄と流刑を生き抜くところ。やや掘り下げは浅いが、中国の戦後の一つの姿がよくわかる。
ちなみに、僕の脳裏に一番つよく残っているのは、生肉を運んだせいで背中に赤いシミがついたラクダのコートのイメージ。なんのこっちゃわからんと思いますが、戦後の激変と筆者の性格が一番良く現れている情景なのですよ。
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09/19/2004
読書メモを最低限再生する記事
もう遅れまくり。とにかくそのへんに転がってるのを処理する。
「娘たちの江戸」、森下みさ子、筑摩書房(図書館)
:面白かった。
「ろくろ:ものと人間の文化史31」、橋本鉄男、法政大学出版局(図書館)
:いまひとつ焦点が・・・
「スパイは未亡人を残した(上)(下)」W・コーソン、S・トレント、J・トレント、新庄哲夫訳、文藝春秋(図書館)
:つまんない。ちょっと電波入ってる。
「四十日」、ジム・クレイ、渡辺佐智江、河出書房新社(2600+)
:クレイを追ってるんだけど、これはイマイチ。キリスト教徒じゃないせいか、迫ってくるものがない。
「ノーメンクラツーラ:ソヴィエトの支配階級(新訂・増補版)」、M・S・ヴォスレンスキー、佐久間穆訳(図書館)
:マルクス主義的方法による、ソヴィエトの研究(80年代に出たもの)。これは出色



「棒がいっぽん」、高野文子、マガジンハウス(918+)
「徳川慶喜 増補版」、松浦玲、中公新書 (720+)