02/04/2005

NHK番組改変問題、一応の総括

朝日の勝ち、NHKの負け、自民党はドロー(JANJAN)

こんなところだろうと思う。新会長も「説明に行ったのはまずかった」と発言してるし。
しかし、こうなるとあのニュース攻勢は何だったんだろう。「津波よりマツケン」のときも思ったのだが、自局の都合で報道をゆがめるのは最悪の偏向ではなかろうか。後遺症で、僕は未だにNHKニュースが見られない。というか、あのキャスターたちの口から真実が聞ける気がしない。

ここのところ、毎日新聞の「記者の目」は連日この話題。なかなか読みでがある。昨日の「実は、くせもの、公平、公正」もなかなかだった。ちなみに今日のは、受信料の不払いはかえってNHKの政治的脆弱性を高める、という主張。そうだよな。

ともかく、これを期に硬派なNHKに戻ってほしい(60年代...とまでは言わないけど)。キャスターをとっかえ、青春のポップスは終了する。そして海外から買ったドキュメンタリーの放送を増やそう。不払になった連中のことは、もう忘れていいからさ。

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01/31/2005

肯定的評価

今日(2005.1.31)の毎日新聞、『NHK、改革への提言』。重村一(スカパー社長)の「『民の常識』入れ自浄を」、が面白かった。

・・・NHKには、「視聴率に左右されない宣言」をしてほしい。広告収入で運営される民法は、スポンサーの意向を受け、若者中心に番組を作らざるをえない。日本独自の放送文化というものを考えた時、NHKと民放のバランスと役割分担は非常に重要だ。NHKは民放と違うものさしで評価されるべきだ。かつての「土曜ドラマ」や「ドラマ人間模様」のような深みのある番組や企業不祥事を掘り下げる特集、1クール13本という放送枠などに縛られない多様な編成がNHKにはできる。

この意見には非常に共感する。NHKは良い番組を作るのだ。僕が苛々しているのは、それが妨害されることである。

ついでだが、重村さんは、「受信料を払わない権利」を認めて、緊急情報以外にはスクランブルをかけ、受信料を払う人だけが見る方式を導入してはどうか、と提案してもいる。それってスカパーやん!と思わないでもないのだが、ハイクオリティの有料放送というのはまだ実現していないと思うので、提案としては面白いかもしれない。実現は難しいとは思うけれども。

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01/28/2005

メディアの独立性【NHK番組改変問題】

今週号の『ニューズウィーク』(2005.2.2)が「世界が笑うNHKの『常識』」という記事を載せている。なかなかいい。

 NHK幹部は、安倍との面談そのものは通常業務の範囲内だと繰り返す。だがここで、世界の多くの報道機関で「非常識」とされる政治家との癒着を、通常業務だと主張するNHKののんきな「常識」が露見してしまった。

 「自尊心のある報道機関が、事前に報道内容を知らせると言う発想は、アメリカのほとんどのメディアではありえない」と、ワシントン・ポスト紙のメディア評論家、ハワード・カーツは言う。議員が報道内容を事前に教えてくれてと頼んでも、笑われるだけだ。

(中略)アメリカのナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)とPBS(公共テレビ放送網)も、政府の補助金を得ている(収入の全てではない)。保守派の議員たちは、自分たちに不都合な報道に腹を立て、定期的に予算の削減を要求する。「だが、報道機関側は、自らの独立性を誇りにしている」と、ワシントン・ポストのカーツは言う。「政府の圧力で、番組が改編されたという話は前代未聞だ」

で、そのPBSのニュースをNHK-BSでやっているので(*1)みていたら、アメリカでも政府がコラムニストやコメンテーターに金を払って、政策を支持する報道をしてもらっていたというニュースが。日本での報道はまだ三面扱いだけど、かなり問題になっているようだ。

詳細はワシントン・ポストの記事を見ていただくとして(あ、これHoward Kurtzだ)、興味深いのは政府が非を認めていること。

ブッシュ大統領は、 "there needs to be a nice, independent relationship between the White House and the press, the administration and the press."と述べている。
政府とプレスは、良好で独立した関係を持つ必要があるんですぜ>ウチの政府のみなさん。

(*1)こういうことがあるので受信料を不払いできないのだ。締め付けの緩い(推定)BSやハイビジョンでは、本当に良い仕事がされている。末端の人がんがれ!

03:40 PM [ニュース, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/26/2005

一つの見識【番組改変問題】

毎日新聞の「記者の目」。牧太郎記者の記事。かなりいいと思う。

半日常的に「権力」から介入され、圧力を受けながら、それを上手にくぐり抜け「真実(に極めて近い事実)」を報道するのが、ジャーナリズム

12:02 AM [映画・テレビ, 経済・政治・国際, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/22/2005

The game we play【番組改変問題の続き】

テキストで議論するとき、「相手の人格や態度を直接攻撃してはならない」というのは基本中の基本だと思う。だが、見ているとNHKと朝日新聞は、この点に関して双方初心者同然である。BBSやブログで少し修行されてはいかがか(w。

まあ、僕も人のことは言えないけど。

ところで、本題。

「言論の自由」や「政治介入」という言葉はフィクション、という言い方がきつすぎるのなら「代名詞」である。現実をある範囲で切り取る言葉で、それ自体にはっきりした実体があるわけではない。だから、何をそのように呼ぶのかは人によって違ってくる。
NHKと朝日の議論が不毛なのは、本来問題にすべき「何を政治介入と呼ぶのか」という段階をすっとばして、それより2歩ぐらい手前にある「何が起こっていたのか」と、最終段階で出てくるはずの「言論の自由は守られているか」とをごっちゃにして議論しているからである。論争が段階的に展開されていないので、双方が勝手な横道にそれてしまうのだ。

もちろん、上の言い方は哲学的・認識論的には正しくない。実際には我々は先入観に基づいて事物を認知するからだ。先ほどの僕の言い方は、「先入観と事物の存在」→「観察」→「評価」→「論理」→「先入観の再確認」という流れを再構成したものにすぎず、それ自体がフィクションである。
それでもわざわざ書いたのは、この手順を守るふりをすることが大事だと思うからだ。これは、我々が守ることになっているゲームのルールである。それを無視するのは、サッカーの最中に「手でボール持った方が便利じゃん」と言い出すのを同じことだ。コトがまともに進まなくなってしまう。

というわけで、「政治介入」や「言論の自由」について、考えていることを少しまとめてみようかと思う。ブログで意見を述べるということについての、僕なりのルール遵守の形として。

僕は、言論の自由とはまず第一義的に政府・統治者の側から干渉されずに、発言(出版・報道を含む)ができることだと思っている(おもに「行儀作法」と関係する一定の制約はやむをえないが、それはまた別の話だ)。
政府や公共機関・公職者に対する報道では、明確で疑問の余地のない誤りが立証されない限り、メディアに訂正や謝罪の義務はないと考える(このあたりは、dead letterさんの議論を参照)。

従って、政治家や政府関係者がテレビの番組や放送方針について何かを言うことは、それ自体が問題になる。それが単なる意見であってもそうだし、まして放送前ならなおさらだ。その意味で、安倍幹事長代理と中川経済産業相のしたことは立派な政治介入だと思う。

では、なぜ言論の自由がなければならないと考えるのか。それは(自由が好きだからではなく)、この権利が民主政体の基本だと思うからだ。

民主制というのは、要するに統治者と被統治者を平等の立場に置くということだ。統治者が特権や富を持つのはまずい。だが、司法や立法や行政を担う人は必要だ。このふたつの問題を調整するために我々は被統治者が統治者を選別・雇用するという仕組みを持っていて、それが民主政体である。
民主政体のもとでは、被統治者の意思表示は二つの方法で行われる。長いスパンでは選挙で、短い期間ではメディアで。また被統治者の意見を集約する必要もあるが、これを担うのもメディアだ。
だから、政治家がメディアに介入するとおかしなことになる。たとえていうなら、生徒が自分の成績を書き直させようとするようなものだ。あるいは、「権力者は権力を無限化しようとする傾向をもつ」という民主制と関係の深い想定を受け入れるなら、政治家のメディアへの加入は危険な兆候であるともいえるだろう。

政治家は言論に介入してはならない、というのはだから、我々の社会の基本的なルールの一つなのだ。メディアの独立は、特に注意して守られなければならない。それが侵されることは、民主政体の崩壊につながる。もちろん、(権力者でない)個人の利益はメディアの利益に優先されなければならない。この点で、「マスコミの思い上がり」のようなものは確かにあると思う。けれど、それを口実に政治家が何かしていいわけではない。

ついでにいうと、これは政治的中立性とは何の関係もないと思う。というか、僕はメディアが政治的に中立であるべきだとは思わない。そんなことは不可能だし、不必要だ。メディアは政治の状況を伝えなければならない。語る以上、偏りはかならずある。一社独占でないなら、偏りは問題にならない。単に売れたり、売れなかったりするだけだ(たとえば、産経新聞という僕には赤旗新聞の次に政治的に偏っているように見えるメディアがあるが、それが社会問題を引き起こしたと言うような話は聞かない)。メディアは好きなだけ偏ればよいのだ。判断は国民が下す。逆に、メディアに政治的中立を強要することは、受け手である国民に政治的志向を禁止するに等しい。それは、報道内容を政治がコントロールするのと同様の、非民主的な行為だ。

03:13 PM [経済・政治・国際, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/21/2005

話を展開するための自分用メモ

介入があった、というストーリーがフィクションなら、介入はなかったというストーリーもフィクションだ。水掛け論だな。

とはいえ、それなら言論の自由も放送の中立性もフィクションだろう。いま行われているのは、フィクションをめぐる象徴闘争なのだと思う。社会の本質は案外こんなところにあるのだろう。

なにがいけないのか、シニカルに逃げないで、きちんと言葉にしよう。

11:23 AM [NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/20/2005

関わりたくない気持ち【番組改変問題】

他でも指摘されていることだが、事態は子どもの喧嘩みたいになってきた。
正直、こういう水掛け論には関わりたくない気持ちがあるのは事実だ。
ただ、ちょっと邪推しておくと、そもそも事態をこういう風にしてしまおう、というのが政治家側の狙いなのではないかとも思う。少なくとも、「“真相は闇の中”的な、なんとなくいかがわしい事件」という位置づけにしてしまえば、一番得をするのは彼らだ(ポスト小泉にむけて、ソフト路線に切り替えても行きたいだろうし)。

というわけで、まだもう少しこの話はフォローしていこうかと。

11:08 AM [経済・政治・国際, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/18/2005

地方紙頑張る【番組改変関係】

TBをくださったSuper Neurotic Junctionさんのその名に恥じないまとめ記事から、Kitanoのアレさんの改変問題関係の社説を集めた記事を発見。

こうしてみると、地方紙がかなりストレートに批判をしている感じだ。がんばれ信毎。

07:17 PM [ニュース, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

まだ終わらない【番組改変問題】

テレビだけなら、反論コメントで終わっていたかもしれないけど、ネットではちょっと違う。新聞の情報もあっというまに共有できる。

というわけで、Dead Letterさんが、安倍・中川両氏の発言の変遷を詳しくフォローした記事を出してくれた。
両氏がゴマカシ・隠蔽をしようとしているのは明白。

二人とも最初は全くの無警戒であり、そもそも何が問題なのか分かっていなかったのではないか、というのが僕の考えだ。もしそうなら、両名とも近代国家におけるジャーナリズムのあり方について著しく見識がない、或いは少なくともその近代国家のトップを狙う政治家としての資質に欠けると言わざるをえない。

という意見に全面同意。

もうひとつ、駝鳥さん(こういう呼び方でいいのだろうか)が、朝日新聞の記事についてまとめてくれている
抗議や謝罪要求を受けたせいだと思うのだが、朝日も本気を出してきた。とくに、駝鳥さんが触れられている「NHK番組改変問題、本社の取材・報道の詳細」という記事は迫力がある(発言内容のフォローのほうはDead letter blogのものと大差ない)。常識的に考えて、これだけのものを捏造できるとは思えない。もしこれが事実でないというのなら、新聞取材に応じたNHK幹部などが実名で登場して説明すべきだろう。

【おまけ】
しかし、それにしても不思議なのはこの政治家たち(どうやら、安倍・中川両氏だけではないようだ)の対応の仕方である。問題があると思うのなら、新聞なりテレビなりで「今夜、NHKがやる予定の番組は偏向していると思います。みなさんもご覧になって一緒に憤慨してください」という“意見”を発表すれば良いようなものだ。中川氏には、国会で質問するという方法もありえた。
大筋で間違ったことが言われているなら、見た人にはわかる。それをあえてウラから手を回したというのは、よほど都合の悪いことが入っていたのか、それとも国民の理解力を徹底的に低く評価していたのか。
ETV特集の影響力がそんなに大きいとは思えないのだが、そのあたり、どうなんだろう。
「テレビに出ただけで、俺みたいなのにも人気が出るんだから、油断はできないぞ」と思っちゃったんだろうか。

04:25 PM [経済・政治・国際, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/15/2005

放送内容は問題ではない

番組改変問題について、池田信夫さんが経験をふまえて次のように指摘している

「局長試写がしばしば行われる」とか「改変ではなく通常の編集だ」というのは、嘘である。NHKスペシャルでも、局長室で試写することなんかない。また、放送の3時間前になって放送時間を短縮するのは「通常の編集」ではありえない。

こういうのを見ると、やはり何らかの介入があったことは間違いがないと思う。繰り返し書いているが、これは許されてはならないことだ。
ただ、番組内容の評価はこれとは別である。このあたりははっきりさせておかなければならない。僕は放送(されるはずだった)内容に賛同するから、改変に反対しているのではない。

そもそも、僕はこの番組を見ていない。知らなくて見なかったのではなく、知っていて見なかった。それは、模擬法廷という形式に無理があると思ったからだ。これに関連して、ダグラス・ラミスの文章を引こう。これは1982年に東京で開かれた、イスラエルのレバノン侵攻を裁く国際民衆法廷についてのものだ。

 ごく単純にいってしまえば、法廷とは原告と被告人、あるいはその代理人の間で交わされる主張と証拠の抗争であり、証拠と主張がすべて提出されるまで判断は保留することを誓った人ないし集団の前で、一定の形式上の手続きの規則に従って行われるものである。法廷の評決の権威は、このような抗争を観察することが、犯罪の告発が行われている事件の事実と正義を決定する最善の方法であるという理論に基づいている。しかし判決がこうした特別の権威を持ちうるには、実際にそれが提出された証拠と主張に依拠したものでなければならない。(中略)
 国際民衆法廷がはじまる前、私はこれを組織している人たちに対して、イスラエル政府の立場が代表されるべきであると主張した。私に対する答えはたくさんあった。イスラエル政府は絶対に代表を送ってはこないだろうとか、イスラエル政府が公式に認めない代表をたてたりすれば、裁判自体がパロディになってしまう、両者の間はあまりにかけ離れているので理性的な議論など不可能である。いずれにせよイスラエルの有罪は周知の事柄だ。こうした主張はすべてまったくその通りかもしれないが、そこから引き出される結論は、イスラエルのレバノン侵略に関する法廷は、(1)不可能、かつ(2)不必要だということになる。

 もうひとつ出された主張は、この法廷が宣告したり処罰をする力は何もない以上、法廷内では被告人の代表は必要ないというものであった。(中略)だが、互いに争う両者の間で自由な論議が行われる空間を設けることによって真理を決定する方法が法廷なのだという主張に対しては、これは全く答えになっていない。(中略)

 私のこうした反対意見は、組織している人びとに不可能な要求をつきつけていることは分っている。中立的な国際陪審員団の組織などどうして可能といえよう。誰がイスラエル政府を代表しえよう。(中略)こうした問いに対して私は答えをもっていないが、それでもまた別の法廷を組織しようとする人たちは、その答えを見つけるべきだと思う。

C・ダグラス・ラミス、加地永都子訳、「体験としての国際民衆法廷」『ラディカルな日本国憲法』晶文社、pp.65-66

よく読んでいただければ、この主張が中川経産相の意見とほとんど変わらないことがお分かりいただけると思う(ちなみに、ラミスさんは左翼の論客である)。僕も、この意見には基本的に賛同する。民間法廷にはあきらかに無理がある。

でも、そのことと放送は別だ。正しいか、正しくないかは視聴者と制作者が決める。そこに介入があってはならないのだ。

12:49 PM [経済・政治・国際, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

01/13/2005

放送介入問題【追記】

【後日改変部分】前に書いた記事へのTBでも指摘されていることだが、今回の事件は一見して不当なのかどうかがわかりにくい。というか、細かく分解していくと正当に見えていく部分がある。
たとえば、放送内容は従軍慰安婦と戦争責任についてのものだ。この文脈では、責任は「ある」か「ない」かのどちらかである。そのどちらをとるにせよ、内容が「偏向」しないわけはない。また、表向き、政治家たちは意見を言っただけだ。意見をいうことが不当であるわけはない(鈴木宗男だって、NGOへの「質問」では有罪にならなかった)。

しかしそもそも、政治家が公然と不法なことをするだろうか。彼らは合法的な装いができると見たから、介入したのだ。こういう場合に、彼らが使った抜け道を再確認してあげる必要はないと、僕は思う。【後日改変部分終わり】


僕は、閣僚と与党幹部が意見をいうこと自体が問題だと思う。予算に影響力があるから、彼らは単に質問をするだけで、放送内容に介入することができるのだ(「これは介入とか、そういうことではないのですよ」と言うことすらあると聞く)。特に、今回のものは非常にセンシティヴな問題で、しかも予算の説明と同時期だった。政治家が何を言ったとしても、介入と誤解されるおそれがある。

言論の自由が民主主義社会の基本であり、権力はつねに監視・検証される必要があることを理解しているのなら、絶対に「意見を言う」ことすら避けるはずだ。
それをあえてしたということは、彼らが僕たちの社会と根本的に相容れない人物であることを示している。こんな連中を、責任のある立場につけておくことはできない。僕なら、自治会の経理でも任せない。

【後日改変について】
2004.1.13。おいらブログさんのコメントを受けて、リード文を改変。mitsuさんゴメン。

11:38 PM [経済・政治・国際, NHK番組改編問題関連] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

絶対にあってはならないこと【放送内容に政府・与党幹部が介入】

以前から話題になっていた、NHK番組の内容改変が安倍晋三(現)自民党幹事長代理と中川昭一(現)経済産業大臣の介入によるものであることが、内部告発で判明

ちなみに当時、安倍は内閣官房副長官、中川は自民党広報本部長。番組は従軍慰安婦問題との絡みで、昭和天皇の戦争責任を扱ったもの。
つまり彼らは、政府・与党の幹部として権力批判を封殺したのだ。

これはもう、番組の内容の正当性とか、介入の具体的影響の有無とか、そういう問題ではない。権力者が権力批判に介入することは我々の社会を根本から揺るがす。言論の自由のない民主主義は民主主義ではない。権力批判に関してはとりわけそうだ。

近寄ることすら避けるべき領域に踏み込んだ2人の政治家は、反社会的だといわれても仕方がないと思う。彼らをかばうもの、事実を隠蔽するものは全て同罪だ。NHKの海老沢会長も含め、即刻辞任すべきだ。

些細なことではないと思う。些細なことであってはいけないと思う。これがこのまま見過ごされるようなら、日本は本当にダメになるだろう

もちろん、実際には見逃される可能性は高いだろう。日本はもう十分にダメになっているから。でも、黙っているべきではないと思うので、ここに書く。これは間違いだ。さらに多くの間違いが、ここから始まるだろう。

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